表現の自由
私は日本人がやたらと使う「表現の自由」は間違った運用だと思っています。自由=何をやってもいいという世界はどこにもありません。自由も一定の道徳や社会通念上の枠組みがあるのは当然です。英国ではその通念がしっかり根付いているためにいわゆる憲法と称するものはありません。それでもしっかりコントロールされている仕組みがあるのは英国人と付き合ってみると彼らの考えが比較的保守的で自主的な一定の枠組みを持ち、集団管理的要素があるからかもしれません。
例えば隣の家が突然まっ黄色のド派手な外装を施し、周辺の家に溶け込まないとします。この場合、近隣は強烈な圧力をかけ、役所も動員し、その家主はそこに住むことすら憚れる状況に追いやられます。私はバンクーバーで某英国系カナダ人が「オタクのマリーナに停泊しているボートのカバーに派手な色があり目障りだからもっと地味な色に変えさせろ」と圧力を受けました。ボートオーナーにその旨を伝えると「それは悪かった」とあっさり降参します。あるいは新しく建ったコンドミニアムの目の前に古くから建つホテルの赤い看板が「目ざわり」だとおとなしい色に変えさせられました。これが社会の監視体制です。
選挙ポスター掲示板が今、社会問題ともいえる話題になっています。裸同然のポスターを貼る真意は「何をやってもよいと思った」。「NHKから国民を守る党」は掲示板ジャックだと喜んで目立つことをしています。「ルールがないなら何をやってもいいだろう」と。これを日本人は表現の自由と称するのですが、単に我儘好き勝手やりたい放題以外の何物でもないことに国民はもっと声を上げ、無知に対する監視体制と教育を施し、一定の枠組みとそれを逸脱した場合の罰は考えるべきでしょう。メディアは面白おかしく報じますが、過半数の国民は憂いており、嘆いているのです。「こんな日本に誰がした」と。
トランプ氏は救世主なのか、アメリカ没落を加速させるか?アメリカ大統領選についてはあまりに盛り上がらないのでそんな話題を振ってもスルーされるかもしれません。ただ、そろそろ現実問題を考えるべき時にきていると思います。一応、現時点で可能性が高いトランプ氏の大統領返り咲きになった場合、トランプ節の効き目は期待できず、前回のようなインパクトも生じず、氏にとって極めて困難なかじ取りが待ち構えると予想しています。なぜなら人々は前回のトランプ政権時代に学んだ一方、トランプ氏は今のところ、同じ刀を同じようにしか振り回していないからです。これでは隙だらけです。
経済については10%の関税案についてトランプ氏とサマーズ元財務長官がやりあっています。個人的にはトランプ氏の関税案は古典的な経済政策であり、世界最大の経済大国が行う施策とは思えないのです。関税は通常、国内の弱い産業を育成するのが目的で全品目に課すということはアメリカは自国経済が弱いと世界に認めるようなものです。それなら米ドルは10%減価すべきでしょう。また減税を打ち出していますが、誰のために行うのか、財源はどうするのかという議論をすっ飛ばしており、アメリカ人は大統領選の度に政策変更で振り回されることによく耐えているとも思います。
世界観のレベルでみると欧州が政治を中心に混とんとしそうで、日本もさえない中、ロシアと中国は好き勝手やりたい放題、インドを含むグローバルサウスは第三案で対抗となるのでしょう。トランプ氏が吠えれば同じように吠える権威主義的な恐怖政治家が増殖することがより大きな懸念となるでしょう。日本は自民党の総裁選を経ようが仮に衆議院選挙があろうが大勢は変わらずおとなしい目立たない国です。そんな中で荒海に飲み込まれないようなしっかりして腰の据わった日本の政治手腕を見せてほしいものです。
後記 日本にきて5日目となりますが、毎度のことながらおびただしいスケジュールに追いまくられこなせない予定を先送りし、夜の予定だけは滞在期間はほぼ全部埋まったところです。その中で感じたのは「なぜこんなに寒い?」。美容室では冷房の効きすぎで思わずひざ掛けをもらいました。高松にいた時は気温30度。人々は暑いねぇ、と口にしますが、それは気温が30度=暑いという頭の中の温度計だけが上昇していて実際にはそこまで言うほど汗をかくこともありませんでした。さて、私が東京にいる間に暑くなる日は来るのか、それとも都知事選だけが熱くなるのか見ものであります。
では今日はこのぐらいで。
編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2024年6月22日の記事より転載させていただきました。