11月の米大統領選でウクライナ支援で消極的なトランプ氏が大統領に復帰した場合、ウクライナへの支援はどうなるのか。ドイツをはじめとする欧州諸国のウクライナ支援も不確かさがある。ゼレンスキー大統領は苦悩せざるを得ない。
当方はこのコラム欄でも数回書いたが、ゼレンスキー氏は「公平」と「正義」を掲げ、ロシア側に停戦を強いていこうとしているが、キーウ側が公平と正義を掲げる限り、ロシアとの和平交渉の扉は開かない。誤解を避けるためにいうが、ウクライナ戦争はロシア側が始めたものだ。公平と正義はウクライナ側にあることはいうまでもない。通常の訴訟とか争いならば、ウクライナ側は公平と正義を盾に被告を訴えることができるが、ウクライナ戦争の場合はそうはいかない。プーチン大統領は独自のナラティブを主張し、ウクライナの再併合を自身の使命と考えている指導者だ。そのプーチン氏に対し、ゼレンスキー氏が「公平」と「正義」を主張しても説得力がないのだ。
そこでゼレンスキー氏は「公平」と「正義」の旗をいったん懐に収め、ロシアと「冷たい和平」を目指して政治交渉を始めるべきではないか。「冷たい和平」はペトリッチュ元ボスニア・ヘルツェゴビナ和平履行会議上級代表が当方とのインタビューの中で語った表現だ。
ボスニア紛争はイスラム系、クロアチア系、セルビア系の3民族間の内戦だった。死者20万人、難民、避難民、約200万人を出した戦後最大の欧州の悲劇だった。2005年、デートン和平協定締結10年目、当方は現地取材したが、現状は民族間の和解からは程遠く、民族間の分割が静かに進行していた。住居には弾丸の痕跡があり、復旧されていないインフラが至る所に見られた。唯一、戦争時と和平合意後のボスニアでの相違は紛争間の戦闘は終り、遅々たるテンポだが復旧作業が進められていたことだ。ウォルフガング・ペトリッチュ元ボスニア和平履行会議上級代表はそのようなボスニアの現状を「冷たい和平」と呼んだ。
ここで強調したいことは、ボスニアの「冷たい和平」のウクライナ版の実現だ。「冷たい和平」は公平と正義を主張する立場から見れば、「何のために多くの犠牲を払いながら戦ってきたのか」という憤りが飛び出すだろう。ゼレンスキー氏も同じだろう。今更、ロシアと中途半端な妥協、譲歩は出来ないといった思いだ。
しかし、「冷たい和平」は少なくとも戦いを止めることが出来るのだ。北京側はクレバ外相に「政治的解決」を求めた。北京側も紛争間の和平案には余りにも隔たり大きく、合意は難しいことを知っている。そこで「政治的解決」を目指すべきだというわけだ。
ただし、被害国ウクライナ側にとって厳しい選択だろう。キーウ市民がロシア軍の侵略に命がけで戦ってきたのは何のためだったのか。祖国防衛、愛国心からだった。それが今になって、ロシア側と妥協すれば、「大義」を失うことにもなる。多くのウクライナ国民にとって痛みが伴う選択となるはずだ。
イスラエルの著名な歴史学者ユヴァル・ノア・ハラリ氏は「『平和』(peace)と『公平』(justice)のどちらかを選ぶとすれば、『平和』を選ぶべきだ。世界の歴史で『平和協定』といわれるものは紛争当事者の妥協を土台として成立されたものが多い。『平和』ではなく、『公平』を選び、完全な公平を追求していけば、戦いは終わらず、続く」と述べている。ハラリ氏は「公平」と「正義」に拘っている限り、戦争は続くしかないと警告を発しているわけだ。
ぺトリッチュ元上級代表は「ボスニア紛争は内戦だった。外部の侵略を契機に始まり、勝利者と被占領者に分かれる戦争とは異なり、内戦には勝者はなく、敗者しか存在しない」と語っていたことを思い出す。「冷たい和平」の前途が厳しいことを示唆していた。しかし、ボスニアは現在、欧州統合に参画し、将来の欧州連合(EU)加盟を国家目標に歩みだしている。時間の経過と共に紛争勢力間の痛みは癒されてきているのだ。
ロシアとウクライナ両国の「冷たい和平」でも同じようなプロセスが期待できるのではないか。人は変わることが出来るように、国も世界情勢の変化の中に変わっていく。繰り返すが、「公平」と「正義」は歴史に委ね、生きている私たちは「和平」を先ず模索すべきだ。
編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2024年7月26日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。