かつて履歴書に「普通自動車運転免許所有」と書けなければ就職には不利と言われた時代があります。自動車の運転は就職パスポートのような勢いでした。いわゆるモータリゼーションの時代です。

今でも自動車運転免許を持とうという若者は減ったとは言えども6割以上あり、一応は免許を取得するようです。ただ、即、車の購入というわけでもなく、必要な時に運転するという姿勢が強まっています。カーシェアリングやレンタカーがその主流で、所有する人は地方などでその必要性が高い場合といった形に変わりつつあります。

また主税局が発表している2050年の日本における自動車保有総数予想は5550万台で年間販売台数は300万台に漸減するとみています。ただ、2020年の保有台数6212台から30年後にわずか10.6%しか減少しないというのは無謀ともいえるほどの楽観数字です。総務省が出している2050年度の人口は9500万人で現在より25%減。しかもご承知の通り政府予想は実態より外れる希望的観測に近い数字です。個人的には人口は2050年に20年比30%減で収まるのか、ぐらいになるとみています。

とすれば自動車保有台数が10%程度減少の訳がないし、その頃には今の自動車とは全く違う世界があるだろうと予想しています。それは趣味の個人所有の車とチョイ乗り目的で自動運転のカーシェアリングと市場をわけるとみています。自動車は個人所有から借りる時代に転換し、かつ、より実用面を重視したものになると考えています。つまり買い物やお年寄りの足なのか、長距離運転なのかで車格もサイズも用途により使い分ける時代になるとみています。

今、乗用車はおおむね5人乗り。だけど乗車しているのはほとんど1人か2人です。つまりそこには無駄があると考えるわけです。そこまでひねくれて考えていくと今の自動車産業が今のままで存在することを予想すること自体が疑問になってくるのです。

さて、このブログで中国の無節操な自動車生産により世界中にそのしわ寄せがあるという趣旨を指摘しました。それでもアメリカは政治力で阻止できるし、日本は消費者のマインド的拒絶感があります。ただ、日本も中国製だと避けているとしながらも例えば白物家電などはすっかり市場に浸透しつつあるわけで時間と共にこのメンタルバリアは下がってくるのでしょう。

自動車については海外市場で日本車と中国車の激しいシェア争いになってくるとみています。特に中国は政治的な蜜月関係を国家間で形成したのち、民間部門が様々な製品をその国に洪水のように売りつけ、市場シェアを奪うことを常套手段としています。例えば人口が1.7億人いるバングラディッシュは9割が日本の中古車、そしてその大多数はトヨタ車であります。ところが中国は同国との関係強化を図っており、いずれ、中国車で市場を席巻させようとしているとみています。タイは日本車のアジア地区の製造基地としての重要な拠点でありますが、その牙城もいつまでも安泰とは思えないのです。