黒坂岳央です。

「今だけ・金だけ・自分だけ」、東京大学大学院農学生命科学研究科の鈴木宣弘教授の言葉である。一度聞いたらすぐ覚えてしまうようなテンポの言葉だ。一言でいうと刹那主義の自己中人間、ということだろう。そしてこの言葉が広く拡散された背景には、この言葉に該当する人が増えた、と感じる人が多いからではないだろうか。

今だけ金だけ自分だけ、になってしまうのは何より自分の幸福を願ってのことである。しかし、その末路は決して良いものではないだろう。思うところを取り上げたい。

FrankRamspott/iStock

まったく幸せになれない生き方

結論をいうと、刹那主義の自己中では幸せに生きることができない。短期的な幸福度はあっても、長期で見れば確実に不幸になる生き方なのだ。それにも関わらず、本人にとっては「最も合理的な生存戦略」と思いこんでいるのだろう。ではなぜ、この生き方では幸せになれないのかを論理的に考えたい。

「今だけ」、この生き方は一見すると理想的に思える。不安から将来への備えばかりして、若い時代を節制で過ごして気がつけば年寄りになってしまった、というより良さそうに思える。だが物事はバランスが大事だ。ここで指摘をする「今だけ」というのは未来の自分や社会から富や幸福の前借りをして、現在のために浪費するような生き方を指している。

個人で言えば生産的なことや教育に時間を使う代わりに、ただただ享楽的で暴飲暴食にふけるような生き方だろう。しかし、今がどれだけ若くても未来は必ずやってきて「今」になる。前借りのツケを払う時、生き方を後悔するだろう。

「金だけ」、幸福なお金を得る手段は「価値提供の対価」である。すなわち、単純化していえば相手の求める仕事をした「ありがとう」を具現化したものである。つまり、「対価」なのだから相応の価値を差し出して然るべきということだ。