およそ400年前のハンガリーに君臨した「血の伯爵夫人」ことエリザベート・バートリー。女性シリアルキラーの元祖ともいうべき人物であるが、歴史上には彼女のように残忍な女貴族が他にも存在する。18世紀のロシア帝国で多数の女性を殺したダリヤ・サルトゥイコヴァもその一人である。

最凶女貴族ダリヤ・サルトゥイコヴァの生涯 ― 愛人に逃げられシリアルキラーに変貌、乙女130人惨殺
(画像=ダリヤ・サルトゥイコヴァ。画像は「Russiapedia」より引用,『TOCANA』より 引用)

■帝政ロシア版「血の貴婦人」

 ダリヤ・ニコラエヴナ・サルトゥイコヴァは1730年、ピョートル大帝が治めるロシア帝国の貴族の家に生まれた。幼少期についてはあまりよくわかっていないが、大帝の強力なリーダーシップのもと急激な西洋化・近代化が推し進められた時代、彼女も西欧風の教育とファッションに囲まれて育ったと思われる。

 成長したダリヤは、ロマノフ王家とも血縁をもつ大貴族グレブ・アレクセイヴィチ・サルトゥイコフと結婚し、セオドアとニコラスという2人の息子を出産する。幸せの絶頂にあったダリヤだが、26歳の時に夫が急死してしまった。彼女は亡き夫の遺産を相続して、モスクワでも随一の財産を持つ若く美しい未亡人となった。

 それからのダリヤは、2人の息子とともにモスクワ近郊の美しい豪邸に住み、何一つ不自由ない生活を送っていた。特に目立つ行動もなく、教会や修道院に定期的に寄付をする敬虔な未亡人とみなされていた。

 しかし、ニコライ・チュッチェフという若い男を愛人にしたことで、彼女の運命は急転する。歳を重ねて容貌が衰えてくると、ニコライは密かに若い女と結婚し、ダリヤを捨てて逃げてしまった。この屈辱がダリヤに秘められた残虐性を目覚めさせた。彼女は裏切った愛人とその恋人を殺そうとしたが果たせず、その鬱憤は自身の領地に住む農奴らへと向かったのである。