いうまでもなく、文学的感興としては、夏目漱石は、羊羹を青磁の皿に盛り、光のなかに置いたのに対して、谷崎潤一郎は、陰翳を礼讃するという論考の趣旨から、羊羹を塗り物の器に入れて、薄暗がりのなかに置いた対照の妙にあるわけだが、実業を論じようとする立場からは、両者とも、「別段食いたくはない」といい、「そう旨くない羊羹でも」というように、食品としての羊羹には全く関心のなかったことが重要なのである。

「草枕」の主人公にとって、羊羹は食品ではなくて美術品であり、モノとして食べる対象なのではなくて、鑑賞というコトの対象だから、そもそも羊羹を食べたかどうかすら不明であり、谷崎潤一郎の場合も、食べられたのは、「室内の暗黒が一個の甘い塊」になったものであり、芸術的感興の形象化されたものであって、羊羹自体ではないのである。

また、両者にとって、羊羹は単独で価値あるものとして存立していたのではなく、夏目漱石の場合には、青磁の皿に盛られたものとして、谷崎潤一郎においては、塗り物の器に容れられたものとして、美的鑑賞の対象となっていたのであって、主役は、むしろ、羊羹によって引き立てられた食器のほうだったかもしれない。ならば、賞味されたのは、羊羹というモノではなく、羊羹が創造する美的感興というコトだったのである。

森本 紀行 HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長 HC公式ウェブサイト:fromHC twitter:nmorimoto_HC facebook:森本 紀行