夏目漱石の「草枕」の主人公である画家は、「余は凡ての菓子のうちで尤も羊羹が好きだ」というが、実は、「別段食いたくはない」のであって、「あの肌合が滑らかに、緻密に、しかも半透明に光線を受ける具合は、どう見ても一個の美術品だ」というわけである。特に、「青磁の皿に盛られた青い練羊羹は、青磁のなかから今生れた様につやつやして、思わず手を出して撫でて見たくなる」と感じられるのだ。

この「草枕」に描かれた羊羹について、漱石以降の文学者で知らぬものはなかったはずである。例えば、谷崎潤一郎は、「陰翳礼讃」のなかで、「嘗て漱石先生は「草枕」の中で羊羹の色を讃美しておられた」とし、「あれを塗り物の菓子器に入れて、肌の色が辛うじて見分けられる暗がりへ沈めると、ひとしお瞑想的になる」と書き、更に、「人はあの冷たく滑らかなものを口中にふくむ時、恰も室内の暗黒が一個の甘い塊になって舌の先で融けるのを感じ、ほんとうはそう旨くない羊羹でも、味に異様な深みが添わるように思う」としている。

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