黒坂岳央です。
筆者は字が汚い。会社では業務連絡にビジネスチャットアプリを使っているが、どうしてもメモ書きを使うような場面では「何を書いているか読めない」と従業員から言われてしまうので複合機プリンターで印刷してセロテープで貼って対応しているほどである。
昔はきれいな字を書く努力をしてみたこともあって、何万円もするペン習字の通信講座もやってみたが諦めた。今では開き直りのようだが、「きれいな字を書くメリットが失われた時代になった」と思っている。
最近は子供が学校や塾で教師から子供へ「きれいな字を書きましょう」と強く奨励される事が多くなった。また、「どうしても字はきれいに書かないといけない?」と子供から聞かれることもあり、考える機会も増えた。
手書きするシチュエーションはないこんな話をすると怒られてしまいそうだが、令和時代「きれいな字を書く」というメリット、場面は消滅したのではないかと思っている。
自分が会社や学校、園、役所などを移動して「手書き」を求められることはほとんどない。園では連絡帳で先生と保護者とで子供の状況を書いたりコミュニケーションを取るのだが、そこでも印刷対応だ。役所や企業から求められる提出書類はPDFでデータ化し、デジタル入力をして印刷した上で出している。たまに手紙を書くことがあっても、すべてオンラインで完結するサービスを使ってデジタル入力で対応する。
そう、大人になると手書きは要らなくなるのだ。スーパーでの買い物リストすら、メモ書きはしない。自分の場合はビジネスチャットアプリでマイチャット投稿というデジタル入力している。
もちろん、職業によるだろうし「字がきれいなのはムダ」とは思わない。むしろ、自分はきれいな字を書けるスキルへの憧れ、尊敬の念を抱いている。ここで言いたいことはデジタル時代になったことで、「字がきれい」というのはもはや趣味の範疇に近い話になり、必ずしも全員が「きれいな字を書けることを目指す必要性は薄れた」と言いたいのだ。