バイデン氏撤退のニュースの中で日経にこのような一文があります。「なぜここまで決断が遅れたのか。民主党政権の元高官は『バイデン氏は頑固で、側近はイエスマンばかり。出処進退の判断で影響力があるジル夫人ら家族は選挙戦継続を望んでいた』と話す。バイデン氏は36年間務めた上院議員と2期8年の副大統領時代からのスタッフで側近を固める。『耳障りな情報を上げる体制が整っていなかった』(元高官)という」。
バイデン氏ですら「裸の王様」だったのです。アメリカのように意見がディスクローズされるところでも本人には届かないのです。それは多忙だということがあります。自分の手でパソコンやスマホから自分の論評を見ることなどありません。
思い出すのは楽天の三木谷会長のインタビュー記事。同社の携帯電話事業が重しになり何度目かの赤字決算を発表した確か1年ちょっと前の頃、社債返還の資金に詰まるとか、倒産するといった声が経済論評家からホリエモンまで好き勝手言いたい放題に発展したことがあります。そのころ、三木谷氏がインタビューで「私はそのような声を耳にすることはありません。自分の計画にまい進するのみです」といった趣旨を述べていたのが印象的でした。つまり外野に耳を傾けず、ひたすら我が道を行くのもまた美学なのかもしれません。
私が勤め先の会長の秘書として随行していた時代、長い時で1か月ぐらい海外に出ます。すると朝食をとる時間から寝室に入りおやすみなさいというまでずっと一緒なのです。それこそ会長の奥さんより長く寄り添い、あらゆる面倒を見るわけです。出張期間中は会長が自分で何か調べ物をする時間はほとんどなく、我々秘書がビジネスのネタを提供し、そのネタに反応、対応しながら日常業務を展開していきます。つまり上場会社の社長ですら裸の王様に近いことがあるのです。それが会社の倒産につながった可能性は否定しません。なぜなら怖い人でしたのでYESMANしか周りにいなかったからです。(私はあまり従順ではなく、YESMANの鏡であったヒラメ(=上しか向かない)上司にいつもブツブツ言われていました。)
引き際の美学というのは誰にもあることです。なぜなら社会の第一線にずっといられるわけではないからです。唯一の例外は政治家かもしれませんが。とはいえ、政治家は支持され、当選してなんぼの話で落選すればただの人ともいわれます。先の英国の総選挙では現役閣僚や前首相が落選するなど波乱含みとなり、スナク首相も落選するかもとされていたぐらいです。もしかするとスナク氏は自分が先々みじめな負け方をするより潔く自分の首を差し出し、国民に審判を求めた美学だったともいえるかもしれません。
小林製薬の会長、社長が辞任すると報じられています。不祥事の辞任は美学にはならないですが、どう引くか、どのタイミングで引くかはまた難しい判断です。不祥事が起きてすぐに辞めるケースは一般論からすると「投げ出し型」と捉えられ否定的なイメージです。ある程度の道筋をつける「責任全う型」の方が日本人には少なくとも理解されやすいのではないかと思います。
お前はどうなのだ、と言われれば攻めの経営をし続けられるかどうかが一つの判断どころだろうと思います。ぬるま湯に満足した時点で私の賞味期限は終わるということではないでしょうか?
では今日はこのぐらいで。
編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2024年7月23日の記事より転載させていただきました。