人気絶頂の時にさっと引退するか、粘り過ぎて誰も注目しない中、退場するのか難しいところであります。古い話ですが、山口百恵、ピンクレディ、キャンディーズの引き際にはそれなりの美学があったと思います。引退後の第二の人生が往年のセンターステージではないことはほぼ誰もが承知していて、自分の価値を1/5とか1/10に下げてでも売ろうとする涙ぐましい努力をする人もいれば、人生の哲学論を展開する人もいるし、場合によっては仕事人生そのものから引退するケースもあります。
スポーツ選手の場合は成績という数字に裏打ちされたもの、そして監督やチームメートという名のライバルと自分との闘争であるかと思います。この場合、「結果」という割と明白な論拠を突き付けられるので「引退します」と言いやすいものです。ただ、引退するときの心境は「俺、これからどうやって飯を食っていくかな」でしょう。
華がある時代の生活は誰しも派手なものがあります。サラリーマンの方だってある程度の役職ならば銀座などの夜の店に繰り出すこともあるわけで、その際に高級酒を振舞われ、ホステスからちやほやさているその瞬間「おれ、モテるよな」「仕事できるよな」と勘違いすることもしばしばあるわけです。これが人の心を惑わすのです。「まだできる!」と。
バイデン氏がようやく撤退を表明しました。上記の例、歌手ならアルバムの売り上げやヒットチャート、スポーツ選手は成績、サラリーマンは業績や年齢といったようにある程度の判断材料があります。ところが政治家はそれが非常にわかりにくいところが今回のバイデン氏の判断が遅くなった理由の一つとみています。
政権支持率があるじゃないか、と言われますが、政権支持率はどこの国家元首も当選した時をピークにして時間軸と共に下落するのが世の常です。よってそれが3割台、2割台に落ちようが特段それが致命的なボディブローにならないのです。例えば森元首相の支持率は就任時が33%、辞めた時が9%ですがそれでもその後、ドンとして政界などで君臨したわけです。一度つかんだ王様のチェアは勲章であり、当人にとってはやめられないものなのでしょう。