ポルトガルで行方不明になった少年は誘拐されて国際的な小児性愛者のマーケットに“出品”されていたのか――。
■ポルトガルで11歳少年が行方不明に
11歳の少年の身に何が起きたのか。1998年に起きた行方不明事件がきわめて物騒な様相を呈している。
1998年3月4日にポルトガル北部のロサダでルイ・ペドロ(当時11歳)は自宅近くの屋外で自転車に乗って行方不明になり、その後警察が捜査したが2019年に法的に死亡が宣言された。
当日の午後2時頃、ルイは自転車に乗って実家の近くにある母親の職場へ向かった。ルイはかなり年上の友人のアフォンソ(22歳のトラック運転手)の車に乗って短時間のドライブの旅に行ってもいいかと母親に許可をもらいにきたのだ。
母親はアフォンソを若干危険視していたこともあり、息子の願いを聞き入れなかった。アフォンソには会わずに5時に学習塾に行くまで近所の空き地で遊ぶようにと母親はルイに命じた。
数時間が過ぎ、塾教師がルイが午後5時の学習に来ていないと親に電話すると、すぐに警察沙汰になって捜索が開始された。
母親は息子がアフォンソと会ったのではないかと疑い警察に話し、アフォンソは警察の事情聴取を受けた。アフォンソはその日にルイとは会っていないと説明し、少年の居場所は知らないが、警察は「国境を閉鎖すべきだ」と進言したのだった。
ルイのいとこのジョアンは警察に対し、ルイはアフォンソに娼婦のもとへ行こうと誘われていたのだと証言した。しかし母親がドライブに行くことを許してくれなかったので、その日の午後に2人は会ってはいないはずだと話している。
しかし娼婦のアルチーナ・ディアスは後に警察に対し、アフォンソはその日、ルイを連れて車でやって来たのだと話す。そしてアフォンソから少年と性行為をするよう頼まれたという。
ルイは涙を流しひどく動揺していたので、彼女はルイを宥めたのだった。アルチーナは今ここにいることを母親は知っているのかと尋ねると、ルイは「ノー」と言ったという。
アルチーナによればその後、アフォンソは車にルイを乗せて走り去った。どこへ向かったのかはわからないという。