つまり人類は、大気〜地表間CO2の挙動メカニズムを十分に解明したとはとても言えない。言い換えると、人類発のCO2だけが大気中CO2濃度増加の原因だとも科学的には確定していないのだ。それなのに、なぜ彼らは「CO2排出削減だけが解決策だ」と言い張れるのだろう?

そもそも、IPCCとその信者の言う「科学」とは何だろうか? 彼ら自身が語っていないので推測になるが、信頼に足る実際の測定データやそれに基づく計算結果などではなく、彼ら自身作のシナリオに基づいたコンピューター・シミュレーションの結果を重んじるのが「科学」であるらしい。しかし現在までに開発された気候モデルは数多いが、過去の気候さえも十分正確に再現できていないことは、すでに広く知られている(以前紹介したクーンらの著書を参照されたい)。

似非科学は都合の良い発見だけを選び、批判を陰謀と見なすのに対し、真正科学ならば、全ての新発見を考慮に入れ、正確な測定を心掛け、批判を歓迎するものだ。もし上記の「黙っていられない」人たちが真正科学を希求するなら、ぜひ以下の点をあれこれ議論したいものだ。

例えば、大気中CO2濃度を何ppmまで下げたら気候変動が制御できるとお考えですか? それには何トンのCO2を大気から除去しなければなりませんか? それはどうやって実現できますか? 日本は世界の3%しかCO2を出していないのですが、それでも有効ですか? 等々。

なぜなら、上記のようにこの人たちは「まっとうな政策は温室効果ガス削減の深掘りしかない」と言っているからだ。

今の日本では、こと地球温暖化や脱炭素に関して、自由で開かれた意見の交換などは行われていない。圧倒的な政府権力と学会その他の「権威」が、温暖化説に懐疑的なライターや学者・研究者を牽制し、メディアを萎縮させているように見える。

つまり国と「権威」が手を組んで情報操作と言論統制を行っており、教科書の記述さえも「温暖化は人類起源のCO2が原因」(→上記のように、科学的には断言できないはずの内容)を強制してきた。

これは「気候ファシズム」というべき状況なのではないのか? ここ日本は、イデオロギーを国家統制している全体主義国家ではなく、憲法21条で言論の自由が保障されている「民主主義国家」であるはずなのに。

これら政府その他の「問答無用」ともいうべき態度は、戦前の大政翼賛会的状況を連想させ、私は非常に大きな危機感を覚える。言論弾圧で国民の声を圧殺し、暴走した末に、日本は敗れた。戦後わずか79年で、日本人は過去の悲惨な歴史の教訓を忘れてしまうのだろうか? 私としては、日本にはまだ「言論の自由」が存在すると信じたいのであるが。