私は、気候科学者が気候活動家になることを懸念している。同様に、科学者のふりをする活動家についても心配している。
・・・自己批判と多様な視点がなければ、科学者たちは最終的に自分たちの研究の信頼性を損ない、より広範な社会的、政治的、経済的反発を引き起こす可能性がある。同様に、科学者のふりをする活動家についても心配だ。
・・・科学は探索されるものではなく科学者によって説明されればよいという考え方は、愚かな過大評価であり、地球の気候変動という複雑な分野を、多くの人々にとっての独断的な偽宗教としてしまう。科学が示す方向性など一つも定まっていないのに、活動家が「科学に従え」と言うのは、まったく非合理的である。
この言葉は、私にはいちいち頷ける内容で、全くその通りだと思う。しかし現実には、この言葉が危惧している方向に、日本の世の中は進みつつあるように見える。
話を気象予報士らが「天気予報で気候変動問題も伝えよう」との声明を発した件に戻す。気象予報士は、気象業務法に基づき実施される試験に合格し、気象庁長官の登録を受けて初めてなれる。今年3月末現在で約12000名が登録されており、その約4割の3000名以上が日本気象予報士会に入っている。
TVに出てくる「お天気キャスター」は大半、この会から派遣されるとのことだ。つまり彼らは気象の専門家である。気象の専門家なら、海の熱容量が圧倒的に大きくて海水温の変動こそが気温変動の原因であることくらい、分かっているだろうに。
また、日々の天気予報の経験から、偏西風の蛇行や台風の発生や進路などの予測が実に困難で、1週間先の予報さえも正確性に欠けることを実感しているはずだ。だから彼らはしばしば言う、「直近の予報をご参照ください」と。長い先のことなど、予報できてはいないことを実質的に白状している。まして何年も先の気温や気候の変化などは。実際、昨年の猛暑を2年も前から予想できていた人がいただろうか?
また、大気中CO2濃度の変化が長年にわたりほぼ一定なのに、気温は短期間に大きく変動している事実から、CO2が気象に与える影響は小さいと言わなければならないのに、彼らはその種の話を決してTVの前では言わない。もっとも、気象予報士会の裏話として、この種のことで「本当のことを言う」とTVに出してもらえないそうだとの話を聞いた。全く、科学が腐りきっている。
米国でも似た事情にあるらしい。MITのR. Lindzen教授は、昨年の動画で次のように言っている。
今の米国では、温暖化懐疑論者は、論文が通らない、研究費が止まる、学生指導ができない。NASA、NOAA、EPAの所長で懐疑派はみなクビになった。若手が懐疑論を口にすると職がない。お天気キャスターは気候危機に同調しないとクビになる。
米国がそうであるなら、日本もほぼ同じ状況になるのは何ら不思議でない。
そして、朝日新聞には最近、「科学者ら「黙っていられない」気候変動対策求め市民とキャンペーン」なる記事も出た。
温室ガス削減へ「科学の声に耳を傾けたまっとうな政策を」と科学者が市民や政治家に呼びかける、のだとか。呼びかけ人の言によれば「科学の示す唯一の道筋は、温室効果ガス削減の深掘りしかない」とのことだ。
また、市民365人が「気候変動は人権侵害」だと言うことで日本政府や裁判所に訴えるとの記事も出た。その賛同人の一人、気候科学者の江守正多氏も「人間活動による温室効果ガスの排出により地球が温暖化していることには疑う余地がありません(IPCC第6次報告書)。」と述べている。
これらの人々には共通点がある。それはIPCC報告書を間違いのない聖典として崇め、その内容に対する疑問や批判を一切受け付けないことである。まさに「IPCC真理教」信者たちと呼ぶべき事態である。
実際には第1次以来、IPCC報告書の内容は数多くの科学者たちから様々な疑問や批判を投げかけられている一方で、彼らは温暖化の科学をまともに語ってこなかったというのが実情である。例えばアゴラの読者ならば杉山氏が掲げた最新のIPCC報告書の論点整理(1〜63)を読んで、その実情の一端を御存知のはずだ。
さらに付け加えると、大気中CO2濃度は、測定開始以来50年以上もの間ずっと、年間約2ppmずつ増加し、現在は410ppmを越えている。大気への毎年のCO2蓄積量は、炭素換算で3〜4ギガ(109)トンに相当する。
しかしこの値は、毎年200ギガトン以上に上る地表と大気間のCO2交換の差であって、なぜ毎年200ギガトン以上も出入りしながら、その差が計ったように3〜4ギガトンに収まるのか、分かっていない。