しかし人間が遺伝的にまったく平等だというのはフィクションである。遺伝的な障害は存在し、それが子供に遺伝することは予見できる。その確率は100%ではないので不妊手術の強制は望ましくないが、障害児を保護するコストは社会が負担しなければならない。

もっと大きな問題は、医学の発達による乳幼児死亡率の減少である。明治時代には生まれた子の25%以上が5歳までに死んだが、今は乳幼児死亡率は0.4%に下がった。このためよくも悪くも生物学的な意味での自然淘汰はほとんどきかなくなり、障害者は増えている。同じ原因で、自力で生存できない寝たきり老人も大量に生存している。これも福祉国家のコストだろう。

厚生労働白書より

優生保護法が老人問題を救った

日本の場合は特殊要因がある。戦時中、政府は兵士を増やすため、刑法に堕胎罪を設けて「産めよ殖やせよ」の人口政策を取った。終戦直後には復員兵や植民地からの引き揚げで出産が増えたが、堕胎が禁止されていたため、人口は5年で1000万人以上も増えた。

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これに対して政府は1948年に優生保護法を制定した。その目的は優生学ではなく人口抑制だった。当時は食糧不足だったので、人口が激増すると食糧が足りなくなる。そこで優生学という建前で、実質的に堕胎を解禁したのだ。

しかし当初の優生保護法では、堕胎できるのは医学的理由に限られていたので、闇堕胎が横行した。そこで翌年に改正して「生活困窮者」にも経済的理由で堕胎を認めた。このため上の図のように1950年代には出生数が激減し、1960年には1/3になった。

戦後のベビーブームで出生数が増えた国は多いが、日本のようにその後、出生数が極端に減った国はない。この人口の急増と急減が「団塊の世代」と呼ばれるいびつな人口構造を生み、70年後の今、超高齢化・人口減少として顕在化している。

だが優生保護法がなければ、1950年のような高い出生率が続いて団塊の世代は2倍ぐらいに増え、老人問題はもっと深刻になっていただろう。優生保護法は人権保護の観点からは問題があったが、老人問題を軽減したのだ。