今日(2024年7月18日)で、京都アニメーションの放火事件より5年が経つ。あの当時はマスコミからツイッターに至るまで、半ばパニック状態で、少しでも京アニに否定的な見解を述べようものなら人でなしと袋叩きにされる空気だった。

放火事件により全焼した京都アニメーション第1スタジオ(2019年7月21日撮影)wikipediaより

しかし時を経た今、あの事件の本当の要因について、そろそろ誰か賢人による一石が投じられても、いい頃ではないだろうか。

たとえば、「“京アニは世界的に有名なアニメ会社”と当時マスコミが紹介したのは大嘘である」と。

日本のアニメが世界各地でファンを開拓しているという話は1995年あたりから日本のマスコミが(間違って)報じだしていて、それが2010年代にはそれなりの市場が各地にできあがってはいたが、ハリウッド映画には遠く及ばないニッチ市場だった。

何しろ日本で放映される最新アニメ番組を、日本語を根性で学んだマニア達が、わずか数時間で各人の母語で字幕を付けてネットで無料配信(むろん違法行為だ)してくれるのでそれをお試し視聴し、気に入ったら各国でその後出る正規版を購入するという消費スタイルだ。そのため日本での最新放映には極めて感度が高い。人気作となればなおさらだ。

京アニ作品もそうやって世界に広まってはいたが、あくまで「今、ニッポンで一番ホットな逸品」「そういう大ヒット作連発のクールなスタジオ」としての認知であった。

当の日本ではどうだったか。日曜の人気トーク番組「アッコにおまかせ」に京アニ作品の主人公の声優がゲスト出演したとき、客席から「すずみやはるひ?知らなーい」の合唱で迎えられたことに、日本のアニメファンたちは腹を立てていたが、京アニの社会的認知度は実際この程度のものだった。道行く人びと100人に問うても、おそらく98人は同じ反応だったろう。

そこにあのスタジオ炎上の様が、テレビやウェブで中継された。CNNなど国際的メディアも目を向けた。彼らは日本のアニメのことなど知らないから、テレビ朝日など提携先の日本の大手メディアに問い合わせる。日本の報道メディアもアニメには疎いので「日本で今一番人気のアニメスタジオ」「大ヒット作連発」「人材育成に熱心」等のデータを機械的に(検索的というべきか)提供する。それを各国メディアの東京支局が鵜呑みにして、くだんの炎上の映像に字幕やナレーションを挿んで放映・配信する。

それを見たアップル社のCEOや各国最高首脳たちが、ニューヨーク911テロや、パリでの風刺雑誌社へのテロ事件の日本版と思い込んで追悼メッセージを出す。それを日本のメディアが取り上げて「世界中に衝撃が走っている」と煽る。これを日本の大衆は真に受けて、ツイッターで大騒ぎが始まる。日本の政界も踊らされて、官房長官ついには総理大臣が追悼を述べる。

こうして、アニメマニア以外にはほぼ無名であったはずの一アニメスタジオが、まるで国宝の建物が炎上したかのように大衆には刷り込まれていった。放火犯は金閣寺放火事件のあの青年僧と同じ狂人であり、少しでもこのスタジオの非を問う者は、ツイッター上で猛バッシングされた。

要するにもはや誰も冷静に事件を語ることができない有様だったのを、ご記憶の向きも多いと思う。

以上は長い前振り。放火事件より4年近く前、同スタジオのある人気作品(の版権イラスト)について、思うところをふっとツイートしたところ、日本中より怒りを買った私(興味のある方は「男根のメタファー」でご検索いただきたい)としては、事件五周忌を機会に、あの放火について語ってみるのも悪くないと思い、以下、石を連投する。

炎上の真相

あの放火炎上は、ひとことでいえば「フェアトレード運動の破綻」である。

ご承知のように、日本のアニメ産業は、労働基準法が半世紀にわたって事実上実施されておらず、しかも「クールジャパン」の国策のもと、その現状が政府によって黙認されている。その結果、年間に300タイトルを優に超える新作が量産される裏で、アニメーターに限らず制作現場の人間は目をむくような負荷を強いられている。海外発注やデジタル技術導入によっても品質を保てず、失笑ものの映像も珍しくない。

しかし京都アニメーションは、業界随一の高品質を保ちつつ、従業員の福利厚生を充実させるという、極めてまれなスタジオとして、アニメファンの間では知られていた。

同社のアニメを視聴し、関連商品を購入してあげれば、そのお金は必ず制作チームの全員に公正にいきわたり、社内に育児所を設ける等の女性スタッフのことも考えた労働環境を支える一助になる…

これはフェアトレード運動の変種というところだ。「発展途上国の原料や製品を適正な価格で継続的に購入することを通じ、立場の弱い途上国の生産者や労働者の生活改善と自立を目指す運動」(ウィキペディアより)。京アニのファンとなるのは、アニメ業界全体の改善にも貢献する、崇高な消費活動でもある――大げさに聞こえるだろうがアニメファンたちは大なり小なり、そう考えていた。

皮肉なことに、日本のアニメ業界内で、京アニは必ずしも評判が良くなかった。事件より数年前、私が取材で話をうかがった、ある著名アニメ監督は「あそこが模範生ポジションを保つ裏で、業界全体にしわ寄せがきている」と嘆いていたのを思い出す。「ヒット作を出すにはとにかくいろいろ新作を出していくしかない。そのうえ京アニと同じ品質のものを作れと出資者たちからは強要される。新作乱造で人出不足のなか、腕のある者ほど酷使される」等。

京アニは、猛暑に空調をフルに回して、社内は快適だが、その廃熱によってアニメ業界全体の生態系を、むしろ乱していた。

だがそうした現実はアニメファンには見過ごされがちで、同社はブランドとしてだけでなく、ファンにとっては日本アニメ界のアップル社ともいうべきカリスマ・スタジオへと変貌していった。

日本のアニメ産業は半世紀にわたって、車線の下りを上り、上りを下るという、「赤信号みんなで渡れば怖くない」を業界ぐるみで続けてきた(どうしてそんな風になったのかについては、私が前に上梓したこれやこれで歴史的に検証してあるのでどうかご一読いただきたい)。

このイレギュラーな状態について政府からは黙認状態だった。なにしろ介入となると、首都高速から一般道まですべて閉鎖して物流を止めてしまうのと同じで、業界改善どころか壊滅は必至だ。日本の国策「クールジャパン」にもそぐわない。

京アニはというと、道路交通法を錦の旗に、正攻法を押し通した。映画『マトリックス』の第二作で、ヒーローのひとりがハイウェイをバイクで逆走するシーンがある。悪のAIが作り出した仮想現実のなかを、無数の車が押し寄せてくる。そこを彼女は、卓越した技術と反射神経によって、真正面から逆走し、すり抜けていく。

京アニの信者にとって、同社はあの映画のヒーロー達と同じだったろう。しかし他のドライバーから見れば、彼らは無謀な走り屋だった。「俺たちは好きで道交法違反してるわけじゃない。業界ぐるみでこうしないと共倒れしてしまうから、皆でこうやって回している。そこを平然と逆走していくあいつらはいったい何のつもりなんだ」