■これで「おにゅう」と読むのか…
確かに「遠」には「オン」の読み方があるが、そこに「敷」が続いて「おにゅう」と読むなど、誰が初見で推測できようか(いや、できない)。
あまりに初見殺しすぎる名称はXユーザーに衝撃を与えており、件のポストには「ローマ字を見ても『おんゆ川』って読みそう」「地元民だし、かつて郡名だったし、当たり前のように読んでたけど、難読地名だったな」といった声が寄せられていた。
そこでポスト投稿主・滝原さんに写真の詳細を尋ねたところ、こちらは23年12月に福井県小浜市を走る国道27号にて撮影したものと判明。
取材に際し、滝原さんは「現在は『遠敷』と書きますが、昔は『小丹生』と表記されていました。遠敷川上流から行ける林道を経て『おにゅう峠』や『小入谷(おにゅうだに)』にも行けますが、こちらは滋賀県高島市です」といった耳寄りな情報を提供してくれた。
こちらの情報を受け、遠敷川を管理する福井県嶺南振興局「小浜土木事務所」に河川名の由来を尋ねたところ、「遠敷という地域名に由来しているものと考えられ、歴史的背景については回答しかねます」とのこと。
そこで今回は「遠敷の謎」を探るべく、福井県小浜市遠敷の「若狭歴史博物館」に、詳しい話を聞いてみることに…。
■誕生は1000年以上前に遡る
「遠敷」の歴史は古く、表記のバリエーションも非常に多いようだ。
若狭歴史博物館の担当者は「古代においては『小丹生(小丹)』の表記が見られ、平安時代の辞書『和名類聚抄』(わみょうるいじゅしょう)には『乎爾布』、同じく平安時代の法典『延喜式』(九条家本)には「ヲニフ」と訓じています」と説明する。
他にも747年(天平19年)の財産目録『大安寺伽藍縁起并流記資材帳』には「乎入郡」の表記が見られたり、戦国時代には一部で「中郡」とも呼ばれていたようだが、基本的には「遠敷郡」の表記が主流であるという。

担当者は「713年(和銅6年)の諸国郡郷名著好字令(しょこくぐんごうめいちょこうじれい)が出され、良い意味を持った文字、縁起の良い文字を使って、2文字で国や群などの名称を表すようになったことから『遠敷』となったのではないかと考えられています」と、命名の経緯について補足していた。しかし、なぜこの2文字を当てるようになったかまでは不明であるという。