離島医療に対する強い思いは、徳田先生の弟が病気になった時、医師に診察してもらうこともできずに亡くなった悲しい体験に基づくものだ。

シカゴに行く前はよくお会いしたが、週刊誌などのメディアから流される悪い印象とは全く異なり、離島医療を語るときの徳田先生は、目に涙を浮かべつつ、「いのちだけは平等だ」と語っていた。本来は国が担うべき離島医療の供給体制を作り上げた功績は、もっともっと高く評価されるべきではないかと思う。

そして、24時間の救急医療の提供だ。自分の経験を振り返ると、大阪府立病院救急専門診療科での1年間は、濃厚で、多くのことを学んだが、あの過酷な生活を長く続けることはできない。病気は時間を選ばないので、24時間対応することは不可欠だが、それに従事する医師・看護師の肉体的・精神的負担は大きい。しかし、この24時間診療を広げるきっかけとなったのが、徳州会グループだ。もうひとつの「いのちは平等だ」がここにある。

もちろん、多くのメディアが報じるように、いろいろな軋轢を引き起こし、不協和音を引き起こしたのだろう。政治家になったのも、いろいろな課題を政治の力を借りて解決するためだったのだろう。周りが首をかしげるような言動があったことも耳にしたことがある。しかし、24時間救急医療と離島医療への貢献は、これらを差し引いても余りあるものである。

徳田先生死去に伴う報道を見聞きして、功績部分をほとんど取り上げない姿に、悲しさを覚えた。いつも言うが、日本のメディアはもっと勉強して欲しいものだ。

徳田先生、長い間ご苦労様でした。心よりご冥福をお祈り申し上げます。

編集部より:この記事は、医学者、中村祐輔氏のブログ「中村祐輔のこれでいいのか日本の医療」2024年7月12日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、こちらをご覧ください。