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ロータリーの真価を発揮した国際耐久レースとロータリー軍団
マツダワークス、ル・マンでの悪戦苦闘

ロータリーの真価を発揮した国際耐久レースとロータリー軍団

ル・マン制覇の偉業から数年後に再び脚光を浴び、国民的な名車となったロータリーレーサー、マツダ787B【推し車】
(画像=ル・マンで活躍したマツダのマシンたち(左上のシグマMC74はロータリーエンジンのみだが),『MOBY』より 引用)

ただ、その頃からマツダは社運を賭けたロータリーエンジンの開発へ注力し、せっかく足場を築いた軽自動車や小型車(ファミリア)での優位を次第に失っていく一方、疑問を持たれていたロータリーの耐久性を証明すべく、国際耐久レースへ盛んに参戦します。

コスモスポーツでのマラトン・デ・ラ・ルート84時間レースや、ファミリアロータリークーペでのスパ24時間テースへの挑戦で世界に名を届かせたマツダロータリーですが、海外からの情報流入が乏しい当時は国内でマツダの活躍はあまり知られません。

そこで国内でもロータリーの性能を証明すべくツーリングカーレースへ参戦、ファミリアから始まったロータリー軍団はカペラやサバンナGTでついに宿敵・スカイラインGT-Rの撃破に成功したのが、1960年代末から1970年代にかけてのマツダでした。

後にマツダロータリーの名を世界に轟かせる、ル・マン24時間レースの方でも、小型軽量コンパクト、耐久性も証明済みなロータリーエンジンの性能を見込まれて、シェブロンB16マツダ(1970年)やシグマMC74マツダ(1974年)の参戦が始まっています。

マツダワークス、ル・マンでの悪戦苦闘

ル・マン制覇の偉業から数年後に再び脚光を浴び、国民的な名車となったロータリーレーサー、マツダ787B【推し車】
(画像=1991年のル・マンは優勝した55号車のみ脚光を浴びるが、他にもマツダは18号車(787B・総合6位)と56号車(787・総合8位)が参戦、すべてリタイアせず完走して好成績を収めた,『MOBY』より 引用)

1979年にはマツダオート東京スポーツコーナー(後のマツダスピード)が、SA22型サバンナRX-7(初代)をベースにしたマツダ252iでル・マンへ参戦し、1982年に改良型のマツダ254でル・マン初完走。

翌1983年からはいよいよマツダのワークス体制で参戦し、ムーンクラフトがデザインしたグループCジュニアの717Cで無難に完走(総合12位・クラス優勝)すると、翌1984年には改良版の727C(総合15位・クラス4位)でも完走します。

ただ、さらに改良したマツダ737Cがかろうじて完走扱いになったものの総合19位・クラス3位に沈み、スケールアップして3ローターの13Gエンジンを積むマツダ757も1986年はリタイア、1987年は総合7位・クラス優勝。

その後も767、767B、787とニューマシンを投入しますが、1990年まではパッとしない成績のまま、1991年のル・マン24時間レースを迎えました。

正直なところ、1990年までのマツダは「ロータリーエンジンで頑張るキワモノ扱い」に近いものがあり、日本勢ではトヨタや日産の方が本命視されており、それもジャガーやいつでも出てくれば強いポルシェを相手に、いつになったら勝てるか…程度だったのです。