7人の東洋哲学者、ブッダ・龍樹・老子・荘子・達磨大師・親鸞・空海の思想をかみ砕き、まるで「推しキャラ」のようにポップにつづっていく東洋哲学エッセイ『自分とか、ないから。 教養としての東洋哲学』(サンクチュアリ出版・刊)。

著者であるしんめいPさんは大学卒業後、社会に出るも‟苦戦”を強いられ、一発逆転を狙い芸人として「R-1グランプリ」に出場したという類まれな経歴を持つ‟こじらせニート”。

実家の布団にこもる日々を経て、noteで公開した「東洋哲学本50冊よんだら『本当の自分』とかどうでもよくなった話」という記事が、書籍出版のきっかけとなったといいます。

世界最小の独立国家(ただし、未承認)、シーランド公国の爵位が「唯一の肩書」だというしんめいPさんにお話をうかがいました。

前後編の前編。後編は6月11日(火)18:00に公開します。

「間違いなく何か良いものになるヤツ」

ーー出版のきっかけとなったというnoteの記事について教えてください。

しんめいP:あれはもう……書けちゃった。書きたいし、書かないと気持ち悪いし、たまってきたものをどうしても外に出したいとでもいうのでしょうか。

僕は、喋って伝えることがわりと得意なんですけど、文章でうまく表現できている感覚がないから、書くことはあまり好きではありません。それなのに、言葉がスルスルと出てきて「間違いなく何か良いものになるヤツ」だという手ごたえもありました。

ーーまさに多くの人に読まれ、出版のきっかけになりました。しかし、書籍執筆には4年近い時間を要したそうですね。

しんめいP:書籍とnote記事の違いは、「自分語り」があるか、ないか。自分のことには触れず東洋哲学のことだけを説明するnote記事は楽でした。自分のエピソードを書くことはきつかったし、最後までうまく書けませんでした。

ーー書籍冒頭からご自身の経歴に触れていらっしゃいますね。

しんめいP:「東大を卒業した」なんて話はどうでもよいというか、ほぼ忘れかけてます。読者に「この人、なんか嫌」と感じさせたくなくて、悩んだ結果「冒頭で出しちゃえ!」となりました。

<『自分とか、ないから。 教養としての東洋哲学』(サンクチュアリ出版・刊)>

ーー「東大卒ニート」はパワーワードですよね。一方で30代を迎えて学歴の話をするのは……という気持ちにも共感します。

しんめいP:誰でも入れる大学ではないことはわかってるんですけど、恥ずかしいですね。卒業後、官僚になったり、研究を続けて教授職に就いたりしても長時間労働なのに給料はそこまで……なんて「割に合わない」こともあります。

「将来は東京都内に家を買って、子供は3人欲しい」と考えている友人が、3大商社に就職したんです。その夢を果たせるかを計算したら、高給だとされる商社勤めでもどうやら無理そうだと話していました。

ーーその人が受けた教育や暮らしの水準を維持しようとすれば、時代を経てさらにコストがかさむことは間違いありませんね。東京でバリバリ稼ぐことにこだわり続けることだけが「幸せ」か、と疑問視することもありそうです。

しんめいP:東京で「勝ち負けのゲーム」を続けることは楽ではありません。たとえば、住む場所にも意味がついてくる。豊洲に住んでいる人、恵比寿に住んでいる人はそれぞれ違うタイプの人だと感じますよね。

ーーアイデンティティーとして、住むエリアが人を証明するということでしょうか。

しんめいP:「俺は恵比寿に住んでるけど、豊洲のタワマンに住んでる人に勝ってる? 負けてる?」なんて考えだしたら、すぐに自分に返ってきちゃいます。もしかしたら、本心は「長野県に移住したい」と考えているかもしれない。勝ち負けにして優劣をつけた瞬間に、その本心を否定せざるを得なくなります。そのアイデンティティー自体が幻で、これはある意味「罠」だと思ってます。

東京から地方へ移住することもアイデンティティーとなり得ますが、「東京でゲームを続ける」ことを捨てたともいえます。必死に頑張ってゲームを続けたとして、人生の終わりに「この頑張り、なんだったんだろうな」と感じるだろうな。住むエリアで人が証明されるという考えそのものが「幻に過ぎない」という観点を提示したいんです。