ロシアの核威嚇は「ブラフ」と扱うべきでない

ロシアは先日、戦術核の使用を想定した軍事演習を実施しました。これはロシアが核使用への「エスカレーション・ラダー(核のはしご)」を一歩、上ったことを意味します。この事態の深刻さをランド研究所のマイケル・メイザー氏は、こう分析しています。

「2022年2月時点でアメリカの利益では(ロシアとの)戦争に突入することが正当化されなかったのなら、今日でも正当化されない。あらゆるエスカレーションのステップには、その原則に反する『ある程度の』リスクがあるのだ。『プーチンは我々を恐れており、エスカレートしない』と主張するのは単純すぎるし、行動と反応のサイクルの触媒的力学を無視している」 。

こうした警告は、「ウクライナがクリミアの黒海艦隊司令部を攻撃しても、ロシアは核で反撃しなかったから、ロシア国内に対する攻撃を受けても核使用を自制し続ける」と批判されます。しかしながら、この反論は間違いです。

ロシアは外交的メッセージを一段階強い戦術核演習により、ウクライナと西側に伝えようとしているだけなのです。そして、ロシアの次の一歩が何になるのかは、もしかしたらプーチンを含めて、誰にも分からないかもしれません。

ヒロシマ・ナガサキの悲劇を除き、核武装国が戦争で核兵器を使用しなかったのは、国家の安全保障が深刻に脅かされなかったからに他なりません。このことはポール・エイヴィ氏(バージニア工科大学)が、力作『数奇な運命』で論証しています。

しかしながら、ウクライナ戦争は核武装国が関与した過去の戦争とは違い、核大国ロシアの国土がアメリカの武器により攻撃されているのです。これをロシアが国家安全保障上の危険だと思わない明確なエビデンスは、はたしてあるのでしょうか。さらに悪いことに、国家の指導者は敵の意図を受けた情報の「鮮明さ(vividness)」で推察することも、最新の政治学の研究で明らかにされています。

ウクライナ軍がロシア国内の拠点をアメリカ産のハイマース(HIMARS)で攻撃したことは、おそらく、クレムリンの指導者に強烈な印象を与えたでしょう。そして、プーチンたちが、このことをアメリカと同盟国のロシアを滅ぼうそうとする意図の表れだと判断したかもしれません。彼らがそう考えることは、我々には「パラノイア」にしか映りませんが、それはロシアの指導者がそう考えない論拠にはなりません。

万が一、クレムリンがそう判断したならば、「NATOとの戦争は今やった方が、後に敵国の軍事態勢が整った際の戦争よりマシ」という恐ろしいロジックが、プーチンたちの思考を支配するかもしれません。

つまり、ロシアは不利になる前に先にNATOの軍事拠点を叩く、あるいは、NATOのウクライナ戦争への参戦を抑止するために、戦術核を示威目的でウクライナに使用するインセンティブを高めかねないということです。

「ゲームチェンジャー」という幻

ウクライナがアメリカなどの支援国から供給された武器をロシアに使えば、戦況を好転させられることに期待できるので、核戦争のリスクを冒しても、ロシア領内を攻撃すべきであるという反論もあるでしょう。残念ながら、この主張にも、ほとんどエビデンスがありません。

クインシー研究所の最新の報告書は、過去に「ゲームチェンジャー」になると言われた兵器が、ことごとく期待を裏切った事実を明らかにしました。スイッチブレードドローン、 M-1エイ​​ブラムス戦車、M777榴弾砲、エクスカリバー誘導155mm砲弾、HIMARS精密ミサイル、GPS誘導爆弾など、次々と登場した「ゲーム・チェンジャー」といわれるシステムは、いずれも期待に応えられなかった、ということです。

そもそも単一の武器や兵器が戦争の行方を変えることは、核兵器以外にはありえないでしょう。なぜ、通常兵器では戦況を大きく変えられないのでしょうか。確かに、「HIMARSの長距離ミサイルは、弾薬庫のようなロシアの高価値な標的に致命的な効果をもたらしましたが、ロシア軍はそのような弾薬庫や他の可能性の高い標的を分散させ、カモフラージュすることで適応した」からです。

要するに、ウクライナ軍が特定の兵器でロシア領内を攻撃しても、ロシア軍は対抗策を講じるので決定的な打撃につながりにくいのです。

こうした攻撃と防御の永続する関係は、戦略や軍事の専門家が何度も明らかにしてきました。スティーブン・ビドル氏(コロンビア大学)は、「攻撃側が成功するのは難しく、何世代でも変わらな(い)…これはドローン…の結果ではないし、変革でもない。テクノロジーと人間の適応の間の長年の傾向と関係が、わずかに延長しただけだ」と、ウクライナ軍の苦戦を正確に予測していました。

戦略家のコリン・グレイ氏は著書『兵器は戦争を形成しない』において、戦争や戦略を武器に還元することを戒めて、「個々の兵器や兵器システム…は、歴史の流れを方向づけるものではありません…兵器が戦争の勝敗を決めるわけではありません」(176頁)と主張していました。

要するに、あたかも専門性があるかのような「ゲームチェンジャー」なるバズワードは、われわれを間違った判断に導くということです。

危機管理の鉄則

核時代のおける危機を管理する際の原則は、核戦争について、それが起こる確率ではなく、それがもたらす損害で対応を決めることです。言い換えれば、これまで起こらなかった核戦争という「黒い白鳥」が突如として出現する可能性はどれだけ低くても、そうなる事態を何があろうとも避ける政策を最優先するということです。

こうした確率と危険の避けがたいジレンマについて、ナシーム・ニコラス・タレブ氏は、ベストセラー『ブラック・スワン』で、こう説明しています。

「現代のリスクには…安全保障などがある…将来を左右する大きなことで予測に頼るのは避ける…信じることの優先順位は、確からしさの順ではなく、それで降りかかるかもしれない損害の順につけるのだ…深刻な万が一のことには、全部備えておくのだ」(66-67頁)。

それでは万が一、ウクライナ戦争が不幸にして米ロの核戦争にエスカレートしたら、世界はどうなるのでしょうか。

ラトガース大学の研究によれば、そうなると約50億人が死亡することになります。だから、この研究に携わったアラン・ロボック氏は「データがわれわれに伝えようとしているのは、核戦争を絶対に起こさせてはならないという一点だ」と力説するのです。

われわれは今こそケネディ大統領が遺した教訓を思い出す時です。彼は「キューバ危機の究極的な教訓は…相手国の立場になってみることの重要さである…(ケネディ)大統領は…ソ連の安全保障をおびやかす…立場、屈辱をうける立場にソ連を追い込んだら、われわれは本当に戦争に突入するだろうとの事実を強調しつづけた」(ロバート・ケネディ『13日間』107, 109頁)のです。

バイデン大統領は、後世の歴史家にロシアの核使用を防げなかった「愚か者」と描かれないために、この危険な核の「チキンレース」から降りて、ウクライナ戦争の停戦に向けた交渉を開始すべきです。核戦争を防ぐための譲歩は「宥和」ではありません。そして、日本の岸田政権も、同盟国としてアメリカが外交により事態を打開することを積極的に支援しなければなりません。戦略の要諦は、国家に与えれらた選択肢の優先順位を間違えないことです。

誠に残念ですが、ウクライナがアメリカの兵器でロシア領内を限定的に攻撃しても、戦況を大きく好転させることを見込めないどころか、むしろ、核戦争の危険を高めてしまいます。したがって、アメリカの政策転換は二重に意味がありません。

今、私たちに求められることは、ウクライナ戦争の和平が不正義で不満足であろうとも、核戦争のリスクより優先する苦渋の選択ではないでしょうか。