リアリストは「親露派」ではない
ロシアの戦術核の使用を防ぐためにロシア領内への攻撃を控え、停戦交渉を始めるように主張するリアリストは、ロシアのプロパガンダを拡散する者でもなければ、親露派でもありません。
わたしたちは、ロシア政府の主張とリアリストの分析や政策提言が重なるので、それらは因果関係にあると勘違いしがちですが、そうではありません。リアリストがロシアのプロパガンダや偽情報に騙されて、その言説をモスクワの意向に沿うように変えて発信している根拠は何一つありません。
リアリストの代表格であるジョン・ミアシャイマー氏(シカゴ大学)は、ウクライナ戦争におけるロシアの核使用のリスクとウクライナが「機能不全の残存国家」になることに警鐘を鳴らし続けました。
その彼は、ウクライナ政府から「ロシアのプロパガンダ拡散者」に指名されてしまいました。これに対して、アメリカのクインシー研究所はウクライナ政府に対して、「これは言論の自由を侵害する行為である」と抗議しました。ミアシャイマー氏が核戦争にエスカレートする危険を訴えるのは、国際政治や戦略のロジックを理解している研究者ならば当然なのです。
ロシアが西側とのバーゲニングで核威嚇を最大限に利用しようとするのは、クレムリンの合理的な政策決定の結果に過ぎません。また、戦争の行方や結果が交戦国に配分されたパワーを反映するのも必然的であり、「消耗戦」が続くウクライナ戦争で兵士を供給する能力や火力で優位性を持つロシアが、それらに劣るウクライナを弱体化させていくことも、残念ながら避けがたいことなのです。
ですから、ミアシャイマー氏を代表とするリアリストの主張は、ウクライナ戦争の現実から導かれた客観的な分析であるに過ぎません。これはロシア擁護とは何の関係もないのです。
ロシアの核恫喝は「思うつぼ論」に矮小化できない核時代における外交の特徴は、それが核兵器という究極の「相手を痛めつける力」と連動していることです。すなわち、核武装国は核恫喝により、自らの政治的意思を敵対国に受け入れさせようと、懸命に押してくるということです。
ハーバード大学の名誉教授であるジョセフ・ナイ氏が的確に指摘したように、現在、ロシアとアメリカは「核威嚇に信ぴょう性をもたせて、相手を賭けから降ろそうとするチキンゲーム」に従事しています。
こうした見方は、標準的な戦略理論にもとづいています。核時代における国家間の駆け引きの特徴は、核戦略論の先駆者であるノーベル経済学賞受賞者のトーマス・シェリング氏により、半世紀以上前に明らかにされました。このことについて、彼は以下のように説明しています。
「大規模戦争がどうやって生起するのか—失敗、発端、あるいは誤認がどこで起こるのか—は予測できない…より重要なことは、われわれはいかにして全面戦争という感知される危険が突然増大するのを制御…するかということである…リスクの高まりの大部分は核兵器の帰趨が占めている…いったん核兵器が持ち込まれた戦争は、もはやそれまでの戦争と同じではありえない。そもそも戦争を律していた戦術上の目的や考慮事項はもはや支配的ではない…核が持ち込まれたなら、戦争は決して本来の経過を辿らない可能性がある…大敗北を喫するのを防ぐために何としても核使用が必要となるときには…核の使用を慎重に行う機会をおそらく逸している。一方、近い将来における核使用の軍事的な必要性が生じる可能性が高いことを戦術的な状況が示唆しているときには…外交と適切に連携した無差別ではない慎重な核の持ち出しの機会が残っている。その段階を越えて機会を待てば、おそらく単に戦術的核使用の可能性を高めるだけであ(る)」(『軍備と影響力』107-115頁、強調は引用者、引用文は一部修正)。
ウクライナ戦争でのロシアの核威嚇は、現時点において外交と連携しているので、この機会を逃すべきではありません。それを逸してしまうと、ウクライナ戦争は、われわれには予想さえできなかった要因が作用することで、坂道を転げるように、核兵器の応酬へとエスカレートするかもしれないのです。
実際、ウクライナによるロシアのアルマビルにある早期警戒レーダーサイトへの攻撃は、一歩間違えれば、核の大惨事になっていたかもしれません。
核問題の専門家であるセオドア・ポストル氏(MIT)は、これにより「アメリカの核攻撃に対する防御の一つが崩れたと感じたロシア側が、報復のために激しく反撃するという危機を、ウクライナ側が無用に引き起こしていたかもしれなかった」と、その危険性を指摘しています。
さらに驚くことに、「アルマビルのレーダーは、ウクライナの航空機、巡航ミサイル、ドローン、ATACMミサイルにとって監視上の脅威にはならない」のですから、ウクライナにとって、この攻撃には軍事的合理性がほとんどなかったのです。
残念ながら、このチキンゲームには、ロシアはアメリカやNATO加盟国より固い決意で臨んでいるようです。これはウクライナ支援国が「プーチンの思うつぼ」にはまっているからではありません。ロシアは国家の存亡とプーチン政権の生き残りを賭ける一方で、アメリカはウクライナ戦争に死活的国益を見ていません。米ロの利害は非対称なのです。
チキンゲームの結末を左右する「決意のバランス」や「利益のバランス」は、ロシア有利に大きく傾いています。
ロシアはアメリカより固い決意で戦争に臨んでいるウクライナ戦争において、もちろんウクライナは必死でロシアの侵略に抵抗して国家を守ろうとしている一方で、ロシアも大きな利益を賭けています。このことはクレムリンの指導者が、相次いで、自らの核恫喝に信ぴょう性を持たせようと繰り返し発言していることから裏づけられます。
プーチン大統領は、ロシアが核使用を準備していることを以下のように明言しています。
「何らかの理由で、西側諸国はロシアが核兵器を使用することはないと信じている。我々には核ドクトリンがある。ロシアの主権と領土の一体性が脅かされれば、あらゆる手段を行使することが可能と考えている。これを軽々しく、表面的に受け止めるべきではない」。
ロシアの国家安全保障会議副議長のドミトリー・メドベージェフ元大統領は、NATOとの全面戦争も辞さない姿勢を示すことで、より直接的に威嚇しています。
「今日、誰も紛争の最終段階への移行を否定できない。ロシアは、ウクライナが使用する全ての長距離兵器をNATO諸国の軍人により直接管理されていると既に見ている。 これは軍事援助ではなく、我々への戦争の参加であり、こうした行動は開戦事由となる可能性が十分にある」。
ロシアのセルゲイ・リャブコフ外務次官も、ウクライナとその支援国に以下のメッセージを発信しています。
「私はアメリカの指導者たちに、致命的な結果を招きかねない誤算を犯さないよう警告したい。彼らはなぜか、自分たちが受けるかもしれない反撃の深刻さを過小評価している。これは非常に重要な警告であり、最大の深刻さをもって、深刻に受け止めなければならない」。
このようなロシアの強硬な姿勢とは対照的に、アメリカはかなり腰が引けているように見えます。
第1に、アメリカのウクライナ戦争に対する基本政策は、ロシアとの直接戦争を回避することです。これはロシアのウクライナ侵攻直後から現在まで全く変わっていません。そのために、バイデン政権はロシアとの交戦に至る事態を恐れて、ウクライナに「飛行禁止区域」を設けることに反対しました。
第2に、ワシントンはモスクワに、戦争のエスカレーションを本心では望んでいないというシグナルを送っています。
バイデン政権は、攻勢を続けるロシア軍が戦線を拡大することを恐れて、ウクライナ軍にアメリカの兵器によるハルキウ近辺のロシア領内の拠点を攻撃することを許可しました。ただし、アメリカ政府のこの決定は、ロシアに対して強い決意を示すものではなく、むしろ、なし崩し的な政治的妥協の産物でした。
5月末の時点で、国防省のサブリナ・シン副報道官は、ワシントンの政策に変更はなく、キーウに提供している安全保障支援はウクライナ国内で使われるべきだと述べていました。ところが、次の日に、ブリンケン国務長官は、バイデン大統領がウクライナ側の要請を受けて、アメリカが供与した兵器でロシア領内の国境沿いに集結するロシア軍部隊などを攻撃することを許可したと訪問先のチェコで言明したのです。
こうして、ワシントンはロシア領内の一部の地域への攻撃をウクライナに認める方針に転換したのですが、バイデン政権内では、これに消極的な国防省と積極的な国務省が対立しており、国家としての一貫した戦略が欠如しているようです。
その後、アメリカは戦争のエスカレーションを恐れて、ロシアを刺激しないよう懸命にシグナルを送っています。ジョン・カービー報道官は、アメリカがロシア縦深への攻撃を禁止する方針を数週間以内に再考することはなく、バイデン政権は、ウクライナがより射程の長い強力なATACMSをロシアに向けて発射することも禁止したと明らかにしました。
このようなアメリカ政府の発信は、ロシアの攻勢には、より強力な軍事的行動で応じるというものではありません。このことはアメリカのエスカレーションへの覚悟が、ロシアより劣っていることを示しています。
要するに、ウクライナ戦争における相手を先に降ろすチキンゲームでは、ロシアはアメリカより優位に立っているのです。