薬や外国料理という名目で食べられていた肉

牡丹鍋、現在でも滋養強壮にいいとされており、江戸時代にジビエが薬という扱いになっていたのも納得である。
牡丹鍋、現在でも滋養強壮にいいとされており、江戸時代にジビエが薬という扱いになっていたのも納得である。 / credit:wikipedia

江戸時代の料理本はまったく肉料理について書かれていないわけではなく、肉料理についての記載もわずかながらあり、肉の臭みを取る方法や血抜きをすればどれくらいもつのかということが書かれていたりします。

しかしこれらの書物でも「牛や豚はオランダ人が食べるもの」「豚は中国の食べ物」といったことが書かれており、決して日本料理の中で肉が受け入れられていたわけではないことが窺えます。

それでは、表向き肉食がタブー視されていた江戸時代において、どういった名目で肉を食べていたのでしょうか?

当時の日本では動物の肉を薬として扱っており、人々は「薬を食べる」という名目で肉を食べていました

実際に日本料理の料理本の中にはほとんど肉料理はないものの、本草書(現在でいう薬学書)には多くの獣肉のレシピが載せられており、その効用が詳細に書かれています。

しかしあくまで本草書の中では獣肉は体にいい薬として食べることがすすめられており、食品として肉が取り扱われているわけではありません。

また外国料理という枠組みで肉を食べることについては許容されており、卓袱料理(しっぽくりょうり、中国料理や西洋料理が日本化した宴会料理の一種)を世間に広めるために書かれた料理本には、数多くの肉料理のレシピが載っています。

このように江戸時代の日本においては、日本料理として肉が食べられることはほとんど無かったものの、薬や外国料理という名目で肉が食べられていました。

しかしやがてこれらは形骸化していき、ジビエを提供するももんじ屋が生まれたのです。

ももんじ屋では表向きにあった肉食忌避から猪肉を山鯨(やまくじら)、鶏肉を柏(かしわ)、鹿肉を紅葉(もみじ)などと称していたものの、江戸の町中にて公然と経営しており、多くの人が肉を食べに訪れていたのです。

そこでは獣肉を鍋物にして食べたりしており、後に肉食が解禁された後にすき焼きや牛鍋が人気を博した伏線となっています。

参考文献

札幌大学学術情報リポジトリ (nii.ac.jp)

ライター

華盛頓: 華盛頓(はなもりとみ)です。大学では経済史や経済地理学、政治経済学などについて学んできました。本サイトでは歴史系を中心に執筆していきます。趣味は旅行全般で、神社仏閣から景勝地、博物館などを中心に観光するのが好きです。

編集者

海沼 賢: ナゾロジーのディレクションを担当。大学では電気電子工学、大学院では知識科学を専攻。科学進歩と共に分断されがちな分野間交流の場、一般の人々が科学知識とふれあう場の創出を目指しています。