江戸時代、肉を食べることはタブーとされており、あまり表立って食べられることはありませんでした。

しかし全く食べられていなかったわけではなく、様々な口実を使って人々は肉を食べていたのです。

果たして江戸時代の人々はどのような肉を食べていたのでしょうか?

本記事では江戸時代の人々が食べていた肉について取り上げつつ、江戸時代の人々がどのような理由で肉を食べていたのかについて紹介していきます。

なおこの研究は、「危機と文化 : 札幌大学文化学部文化学会紀要危機と文化8巻p24-50」に詳細が書かれています。

肉は禁断の食べ物だった中近世の日本

旧石器時代の日本では狩りが行われ、肉が食べられていたが、平安時代以降肉食はタブー視されるようになった
旧石器時代の日本では狩りが行われ、肉が食べられていたが、平安時代以降肉食はタブー視されるようになった / credit:いらすとや

古代の日本における食文化は、狩猟と農耕が主要な食料の供給源でした。

旧石器時代の遺跡からは、ナウマンゾウやノウサギなどの哺乳類の化石が発見され、これらの動物は狩猟によって捕らえられ、食肉として利用されていたことが窺えます。

また縄文時代には、貝塚から鹿や猪などの動物の骨が多く発掘され、これらの動物は焼いたり煮たりして食べられていました。

しかし平安時代には陰陽道が盛んになったこともあり、貴族階級の中で肉食の禁忌は強まり、肉が食べられることは少なくなったのです

一方で武士の間では肉食の禁忌はそこまで強くなく、狩猟で手に入れた野生動物をしばしば食べていました。

やがて時代が下ると貴族もこっそり肉を食べるようになりましたが、江戸時代に入ると今度は武士の間に肉食の禁忌が生まれたのです。

しかし後述するように、武士もかつての貴族と同様に様々な抜け穴を使って肉を食べていたのです。

このように中近世の日本では、肉は表向き禁忌とされつつも、裏では多くの人が様々な方便を使って食べられてきました。

肉と言ったらジビエが中心だった江戸時代

シカ肉、江戸時代の人が肉といったらこれかイノシシ肉のことだった
シカ肉、江戸時代の人が肉といったらこれかイノシシ肉のことだった / credit:wikipedia

江戸時代に食べられていた肉としては、イノシシやシカといったジビエが挙げられます。

江戸時代では全国的に大規模な開墾が行われていましたが、それに伴って野生動物が畑を荒らす獣害も増えていきました。

これらの野生動物から農作物を守るために駆除も行われるようになり、その結果として発生した動物の死体が食べられていたのです。

一方牛などといった現在では広く食べられている家畜は、あまり食べられてきませんでした

これは当時の農民は牛を農業に使っており、人に近しい大切に扱わなければならない動物として捉えていたからです。

もちろん当時人々の足として日本中を駆け巡ることもあった馬もそのように扱われており、廃用馬を除いて食べられることはありませんでした

また豚は当時の日本でも広く飼われており、江戸の町でも豚が飼育されていたという記録が残っていますが、飼育目的は汚物の清掃や猟犬の餌というものです。

琉球王国(現在の沖縄県)や薩摩藩(現在の鹿児島県)といった一部の地域では養豚が行われていたものの、それ以外の地域では豚は食用として扱われていなかったのです。