激動の時代において組織が生き残るためには、人材抜擢などの組織改革が不可欠である。だが性急な改革は守旧派の反発を招き、かえって混乱を生む恐れがある。この連載では、幕末維新を勝ち抜いた薩摩藩・長州藩・土佐藩を参考に、あるべき組織運営のあり方を考えていく。

前回は西郷隆盛や大久保利通など有能な下級藩士を育て上げた薩摩藩を紹介した。では薩摩藩のライバル・長州藩は若手の人材をどのように扱っていたのか。今回はその動向を見ていこう。

(前回:幕末雄藩に学ぶ組織運営①:薩摩藩「国父」島津久光の人材登用)

長州藩は伝統的に人材抜擢に重きを置く組織であった。幕末に長州藩の財政を預かった周布政之助の家禄は68石にすぎない。永代家老である益田家の家禄12000石と比較すると、吹けば飛ぶような家であるが、周布は能力によって抜擢され、藩政改革に辣腕をふるった。

周布 政之助Wikipedia