いま皮肉に映るのは、ちょうど都知事選とも同じだけれども、1選挙区から「1名」しか当選できない小選挙区制を衆議院に導入する契機となったのが、この1993年の総選挙だったことだ。

首都決戦でこれだけの波を起こしたのだから、かつての中選挙区制(1選挙区から3~5名が当選)の時代であれば、石丸氏を国政での新党の看板にといった政界再編の流れも、生まれていたかもしれない。だが令和には、それはちょっと、想像できないように思う。

蓮舫氏の陣営は、これから戦犯裁判で大変だろうけど、惨敗すれども悲願の自民党下野に結びつけた往時の社会党のような、最後の栄光すらいまや残ってはいない。なんだかもう、「劣化平成」と呼ぶ以外に、どう形容したらいいのかわからない次第なのである。

なおネットでもうひとつ話題の的なのは、ひまそらあかね(暇空茜)候補の「善戦」だ。期日前投票では4位の田母神俊雄候補とほぼ同率の5位に入ってNHKの開票速報にもランクインし、最終的には11万票を獲得した。

当日の速報中の画像より。現在はリンク先が更新され見れないかも

ひまそら氏も当選は度外視での立候補だったろうが、それをとやかく言う向きはおかしいと思う。たとえば「共産党政権ができてほしくはないが、自民党政権にお灸を据えたいから、共産党に入れる」といった投票は、昭和(戦後)と平成を通じて一般的だった現象で、なにも悪いことじゃない。

同じように「小池都政にお灸を据えたい」有権者がひまそら氏に一票を投じたのなら、「情報公開や公金の使途への批判票」を可視化する意義を果たしたと、公平に評価すべきだ。そうした民主政の機能をわきまえない、以下のような歴史学者の妄言こそ、噴飯ものである。

自分の価値観で他人の被選挙権まで否定できると考える 「非リベラル」の排除は今後の課題です。 当該の人物についてはこちらも

歴史学者の底辺がどこまでバカでも、一般の国民には関係のないことだが、平成という直近の過去をめぐってすら「歴史を振り返る」営みが衰弱していることには、どうしても肩を落とさざるを得ない。おそらくそれはこれから、この国の政治の大きなリスクになってゆくと思う。

P.S. 蓮舫陣営の選挙戦術があまりに嗤いものにされていて、ちょっとかわいそうだったので、こちらの動画に一言。

「君の瞳に恋してる(Can’t Take My Eyes Off You)」って、1978年の映画『ディア・ハンター』で事実上の主題歌として引用されたので、ベトナム反戦世代にとっては結構大事な曲なんですよ。「立憲共産党」のコアな支持層がそこにあるなら、使うこと自体はそこまで間違ってない。

もっとも、蓮舫さんは1967年生まれだから、たぶん当時の記憶は別になくて、バブル期のディスコで踊ってただけかもしれないけど(……あれ? いまもっと嗤うようなこと言ってる?)

編集部より:この記事は與那覇潤氏のnote 2024年7月8日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は與那覇潤氏のnoteをご覧ください。