さらに、集団的自衛権に反対する宮崎礼壱元内閣法制局長官は、他国に加えられた武力攻撃を阻止する集団的自衛権の行使は憲法上許されないとの1972年10月14日の政府答弁書を根拠に閣議決定による憲法解釈変更は違憲であると主張する(しんぶん赤旗2024年7月3日)。

しかし、50年以上も前の政府答弁書を根拠に違憲論を主張すること自体、法解釈上も憲法解釈上も相当ではない。なぜなら、法解釈は時代とともに変化するのであり、憲法解釈も例外ではないからである。

50年前には現在のように、南シナ海、東シナ海、台湾有事・尖閣有事など力による現状変更を躊躇しない核を含む軍事大国化した覇権主義の中国や、核ミサイル開発や発射実験に邁進する北朝鮮による北東アジアの軍事的脅威は存在しなかったからである。

元長官の上記主張は50年後の現在の極めて厳しい安全保障環境を完全に無視するものであり、法解釈上も憲法解釈上も相当ではない。

絶大な「集団的自衛権」の抑止力

このように、「集団的自衛権反対論」は日本を取り巻く厳しい安全保障環境を完全に無視することに共通点がある。上記の政党や論者は日本の存立と日本国民の安全よりも「憲法9条」を優先し、これを絶対視し金科玉条とするのであり、まさに「本末転倒」と言えよう。

NATOの集団的自衛権の実態を見ても、その核を含む抑止力は絶大である。1949年のNATO発足以来、これまでに加盟国が侵略された事例は皆無である。とりわけ、核を含む対ロ抑止力は盤石であり、だからこそ長年中立政策をとってきたフィンランドやスウエーデンさえもNATOに加盟したのであり、ロシアから侵略されたウクライナもNATO加盟を切望しているのである。

日本の米国との集団的自衛権についても、対中、対ロ、対北朝鮮への核を含む抑止力は絶大である。なぜなら、核を含む世界最大最強の軍事力を有する米国との集団的自衛権に基づく「日米共同防衛体制」の構築は、上記の国からの日本に対する侵略へのハードルを極限まで引き上げるからである。

自国を単独で防衛するよりも、集団で防衛するほうが遥かに合理的であり効果的であることは自明である。とりわけ、日本のように自国のみで十分な防衛体制を講じることが困難な国にとっての国益は計り知れない。

「集団的自衛権」に反対する上記政党や論者は、このような米国との「集団的自衛権」が有する絶大な抑止力を完全に無視しており、日本の国益を著しく害するものである。