意欲との戦い

おそらく、ほとんどの人が躓く脱サラ後のポイントが「意欲」である。

サラリーマンはやる気を含めて働くための環境がお膳立てされている。スーツの身を包み、オフィスに出社すれば誰でもビジネスモードに切り替わる。仕事はドンドン上から降ってくるので片っ端からそれを処理していけば、やる気は後から出てくる。

一方で独立すると何もかもが自由だ。仕事をサボって動画をダラダラ見ても叱る人はいないし、なんなら3ヶ月間バカンスに出かけるなんてこともできる。しかし、その気になれば際限なくサボってしまい、監視の目がないという環境で頑張るには強靭なセルフマネジメントと意欲を生み出す創意工夫が必要になる。

もちろん、最初は誰もが必死になる。食えるかどうかがかかっていれば、人間はとてつもない馬力が出るからだ。しかし、ある程度の蓄財が進み、極端にいえば残りの人生一生分の資産形成ができれば「別に働かなくても食っていける」となり、一気に堕落する。こうなると水と同じで人間は高きから低きに流れる。そしてダメなままドンドン時間が経過していき、もう自分を信じられなくなってしまう。

「脱サラすると自由に生きられる!」ということに魅力を感じる人は少なくない。だが、いざ完全自由の世界に落とされても尚、規律を忘れず堕落せずにいるのはかなり難しいし、正直これは人を選ぶと考えている。

社会的な常識

サラリーマンと独立した人と会話して最も大きな違いを感じるのは、社会的常識の有無である。

独立したという話は一般的に「実力がありすぎてサラリーマンでは認められないから独立の道を選んだ」というオーバースペック気味に捉えられる事が多いだろう。しかし、その実情でいえば「価値観や常識がなく、サラリーマンを務められずにケンカのようになって会社を飛び出した」ということの方が多いと感じる。少なくとも自分の知っている人はそういう人ばかりだ。

もちろん、常識がないというのは悪いことばかりではなく、猛烈なハードワークをしたり、奇抜な発想をビジネスに変えたりといいこともある。しかし、相手との約束を守るとか、時間を厳守するといったレベルの常識が持っていないと信用を失う。サラリーマンはそういった常識は日頃から叩き込まれているので、あまり逸脱した行動を取る人はいないが、独立した人は完全にそこが狂っている人が意外なほどいる。

筆者が昔、懇親会で名刺交換をした相手は猛烈に営業をかけてきて、朝スマホを見ると真夜中に着信が入っていたり、「今渋谷ですが、一緒に飲みませんか?」みたいなお誘いが入っていたことがあった。他にも待ち合わせをしても大幅に遅刻してやってきて「すいません、朝弱いもんで」と言われたこともある。そんな調子で営業の仕事が務まるのか?と心配になってしまう。

脱サラ後の生活がうまくいくかどうかは人を選ぶ。誰しも子どもの頃から、学校や大人になって会社でマネジメントされる側に立つことに慣れている。いきなり脱サラしたらその自由なリソースを活用して精力的に頑張る代わりに、堕落してしまう可能性が高いだろう。

 

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