1. パブリックセクターの希望とチャレンジ

    上記のとおり、条件面では、ますます民間に比べて分が悪くなってきているパブリックセクターではあるが、その“やりがい”は不変である。つまりは、国のため、地域のため、社会のために貢献したい、それらを少しでも良くして次の世代につなげたい、という思いは多くの人が原初的に有している。

    その思いの発露の場として、かつては典型的に、政治や行政という世界があったわけだが、先述のとおり、それら世界の現実は厳しい。かつては、新聞やTVや雑誌など、社会の木鐸として公共の役に立つ世界も輝いていたが、今はその世界も輝きを失い、混沌とした玉石混交の不気味なネットによる広報・発信という世界が急速に伸びている。メディアの世界に入る優秀層も減ってきている。

    そう考えると、パブリックセクターは“絶滅に向かって一直線”のようにも思われるが、意外にセクター全体で見ればそうでもない。少し前に「“ゆとり世代”の次は“悟り世代”」などという冗談(真実?)もささやかれたが、まさに、積極的にボランティアに行ったり、環境に気を使って日々生活をしたりという、いわば私欲よりも公益を大事にしようという「悟った」世代が急速に育っている。

    彼らは、手垢がついて薄汚くみえる政治や行政の世界には直接飛び込まず、NPOや政府関係団体、学問の府や外郭団体などという世界から、自由度を保ちつつ、生き甲斐を感じて活躍をしている。一昔前のように、市民団体やNPO団体というと「反政府系」みたいな時代とは異なり、今は、政治家や公務員とうまく付き合いながら、より良い社会の実現にいそしんでいる。

    或いは新しい「公共世代」は、民間企業に普通に就職しつつ、また、弁護士等の士業につきながら、その土俵の中で、パブリックなことをしている。典型的には、企業の内外で、民間人として、いわゆる政府渉外系の職に就きつつ、政府と交渉したり、時にタッグを組んだりしながら、世の中を変えようとして奮闘している一群の人たちがいる。

    本来であれば、政治や行政の世界の魅力をより直接的に向上させて、人材をそのフィールドに引き込むのが王道・常道だ。しかし、現実的には、現下の状況では、例えば、政治や行政への監視を緩めて自由度を増させるとか、役人の給料を思いっきり引き上げるといった施策は実現不可能だ。

    特に、日本のように外形的にはかなり進んだ民主主義の仕組み下では、オルテガの大衆人にせよ、ニーチェの強者への怨恨感情にせよ、いわゆるルサンチマンがどうしても強く発現してしまうため、この手の優秀なパブリックセクター人材への優遇策は認められにくい。(※シンガポールの役人の好条件を良く持ち出す人がいるが、シンガポールは「明るい北朝鮮」とも言われ、首相が独断で割と決められる。)

    そうなると、パブリックセクターに優秀人材を引き留めるには、上記で活写したような、政治や行政(や既存メデイァ)以外の、シビル・ソサイエティで公共のために活躍する人材や可能性を際立たせ、伸ばしていくしかない。

    より具体的には例えば、人材確保に関しては、パブリックセクター全体での募集イメージを強化させ、同時に、そうしたパブリックセクター内での人材の移動を容易にすることが大事になる。

    政治家そのものは、衆人監視にさらされて生きづらいものの、例えば、政党の政策人材(政調などのスタッフ、或いは政党にシンクタンクを作る場合のそのスタッフ)などの枠組みを広げ、NPOから政党スタッフ、政党スタッフから官僚、官僚から民間の政府渉外ポスト、政府渉外ポストからメディア、メディアから官僚・・・といった様々な流れを作ることで、パブリックセクター全体の魅力向上が見込まれる。

    議会等からの監視が厳しい政治家や官僚の給料やフリンジ・ベネフィットを向上させることは困難だが、それ以外のところでは、原資の確保さえできれば実はさほど難しくない。稼げるNPOとか、稼いでいる企業からのメディアやNPOなどへの資金循環も本格的に考えても良い。

    青山社中では、現在、内部で、パブリックセクター全体のサミットというか、まずは手始めに、青山社中リーダー塾や青山社中リーダーシップ公共政策学校生など、弊社に関係する人たちを対象に(例えば上記の両校など現役生・卒業生を併せると、これまで私が教えて来た学校の受講生をどこまで足すかにもよるが、少なく数えても延べ700~800名程度にはなる)、パブリックセクター盛り上げのイベントの開催を考え始めている。

    政治や行政の人気が凋落する中、日本の活性化のため、パブリックセクターにおいて何が出来るか、青山社中としても朝比奈としても、解を模索し、具体的アクションについて考えて行きたい。