1. 政治の混乱と不人気傾向

    ようやく国会が閉幕した。今国会では、予算も総理自らの政治倫理審査会出席などを契機に無事に成立し、閣法(内閣提出の法案、即ち官僚が原案を作成)では、提出した62本中61本が成立した。裏金問題などで政治が揺れている割には、かなり粛々と審議が進んだという実感だ。

    セキュリティ・クリアランスに関する法案、食料農業農村基本法の改正、技能実習に代わる育成就労制度の関連法案、少子化対策関連法案、NTT法の改正、地方自治法の改正(コロナに懲りて、自治体に国が指示する権限を明記)などなど、各省の官僚たちが頑張って作成した大事な法案が数多く成立している。

    ただ一本、洋上風力をEEZに広げる法案だけ、最後、時間切れで間に合わなかったのが個人的にはとても残念ではあるが、政治(与党)に対する相当厳しい逆風の中では、かなりの好成績であると言えよう。

    ただ、一部の専門的というかマニアックなウォッチャーを除き、今回の国会のイメージは、とにかく、旧安倍派などの裏金問題、そしてそれに端を発する政治資金規正法の改正を巡る与野党の攻防ということに尽きているのではないか。

    国民から見ると、「また、政治とカネか」「俺たちの財布は、マイナンバーだなんだとガラス張りになって来ているのに、政治家は裏金が許されてきたのか」とあきれた気分にもなる。今回の一連の出来事により、政治不信が増大し、政治への絶望が増したことは間違いない。

    かつて、公務員倫理法の成立により、民間企業と自由に飲食を共にしたりすることがやりにくくなった時期に、これはバカバカしいということで(民間企業の奢ってもらえないのが残念なのではなく、官民が率直に様々な場で議論することがやりにくくなったことを残念に思って)、それを一つの大きな理由として公務員を辞めた先輩がいたが、「透明化」というのは、聞こえはいいが、事前申請その他手続きはかなり面倒になり、会合に行く気力がそがれる。

    今回の一連の政治資金規正法の改正についても様々な批判はあるが、当事者からするとより面倒になっていることは間違いない。このワクワクする改正で是非政治に行きたくなった、という人材はまずいない。しかも、これはザル法だ、ということで今後、益々規制が強まることも想定すると、更に政治を目指す人は減って行くであろう。

    「物事を透明化していく」「合理的・客観的に理性と数字で物事を判断する」というのは、なかなか反論しにくい強力な正義の言葉だが、そのことと、実際の人気とは違う。

    何でもガラス張りの生きにくい世界に飛び込むのはよほどの変わった人だけとなり、多くの優秀な人は、政治家になるとか政治の世界で頑張るという選択をしなくなっていくであろう。既にその傾向はあるが、官僚の世界と同様、或いはそれ以上に、政治の世界に寄りつく人も低減傾向にあると思われる。

  2. 政治・行政の世界の概観

    以上、官僚と政治の世界の人気凋落ぶりを概観してみたが、その一つの帰結なのか、ごく一部の例外を除き(誰がそうなのかは敢えて言及しないが)、都知事選の数多の候補者を見れば、例えば首都の首長という公職は、およそわが国のベスト&ブライテストが目指している職業ではないことが明らかだ。

    かつては、優秀と言われた人材が官僚になって、その後、都知事などを目指したものだが(鈴木 俊一氏など)、今は、学歴詐称疑惑者や二重国籍疑惑者や都民生活を真剣に考えたことなどはないであろう売名目当ての数々の地方出身者など、正直、誰を選んだら良いのか当惑する候補者ばかりだ。

    我が国の多くの優秀層は、弁護士になって、或いは一流コンサルタントとなって、はたまた投資銀行の幹部などになって、理系で言えば医師などになって、1億円~2億円稼ぐ人がザラにいる世界に行くのが主流となっている。

    東大時代からの私の友人の多くも、優秀と言われる人ほど、素敵な家やマンションに暮らし、美味しい料理を食べたいだけ食べ、しかもその多くは経費で落とせ、職場は高層ビルの素晴らしい眺望の部屋にあってしつらえも素晴らしく・・・という生活を謳歌している。そういう人たちが、政治や行政の世界を垣間見ることはあっても(役所に短期間出向したり、仕事上付き合ったり)、どっぷり浸かりたいと思って実際に転じることはあまりない。

    かつては、公共の世界でも、様々なフリンジ・ベネフィット(宿舎や保険など、直接の支払い報酬以外でのメリット)があったり、その他、経費の活用などについても色々と融通が利いたりする部分が多分にあった。しかも、パブリックセクターは、かなりのやりがいがあることから、多くの優秀層が政治や行政の世界に飛び込んで行った。

    それが、メディアを中心に、多くの国民が少しでも「不透明な部分」があると叩きに叩きまくるので、どんどんと公共で働く人への実質的な「報酬」が減り、政治行政には多くの人が寄り付かなくなっている。給料が少ないだけでなく、オフィスは狭苦しく、使えるお金(飲み会などで経費が認められることは公務員ではほぼない)は少なく、おまけに長時間労働・・・では、自分や家族の生活を考えると自ずと選ぶ道は決まってくる。

    「公共のために」ということであれば、本来得られるの給料の1/10でも望んでその世界に飛び込み(今や上記のような「実入りの良い職業」と公務員とで、給料に10倍くらいの差がついていることはザラにある。

    “10倍”はメジャーではないにせよ、2~3倍の差はごく普通だ。それくらい、優秀層マーケットにおけるパブリックセクターとプライベートセクターの差は現前とついてしまっている)、少しでも疑惑があると「原資は税金なのに・・・」と叩かれるガラス張りの世界でも、それでも頑張るという人材は、考えるまでもなく今や稀有であり、絶滅危惧種である。

    政治の世界は、ファシリティ(設備)はまだましではあるが、衆人監視の状態は一般的な公務員の比ではなく、それこそ土日もない。当然に、上記のキラキラした世界、優秀層が普通に目指す高給取りの世界とは比べるべくもなく、優秀層では特に「よほどの変わった人しか政治に飛び込まない」という傾向に拍車がかかっている。

    つまりは、旧来的な企業などを除いて、外資系企業などを中心に、民間セクターでは、どんどん労働条件・生活条件が改善して素晴らしくなるのに対して、パブリックセクターでは、むしろ、報酬その他の条件があまり改善しないばかりか、監視度はどんどん高くなり、ますます息苦しくなっている。すなわち、①民間セクターの魅力向上、②パブリックセクターの魅力低下、というダブルパンチで、その差が拡大しているわけだ。

    我々国民は、「透明化」「合理化」「健全化」などの美名の下で、この何十年かで、じわじわと、日本の優秀人材をどんどん、自分たちのためのセクター、すなわち公共セクターから遠ざけて、外資系企業などに「追いやって」きた。

    彼ら優秀人材は、どんどん、自らの能力や自ら運用したり動かしたりできるお金を海外で使うようになり(悪く言えば、国内の様々な資金を外資系企業に「貢ぐ」ようになり)、極めつけのその結果が今の円安であるともいえる。我々日本人は、本当に社会を進化させてきているのか、マクロに見ると疑問にも思えてくる。