<ウィミーの要塞教会外観 © Kanmuri Yuki>

今日ご紹介するのは、フランス人でもおそらく10人に9人は知らないであろうスポット、ティエラッシュ地方に70近く点在する要塞教会です。

目次
ティエラッシュってどこ?
14~17世紀にかけて要塞化

ティエラッシュってどこ?

【フランス】フランス北部ティエラッシュの要塞教会群
(画像=<ティエラッシュ地方にて© Kanmuri Yuki>、『たびこふれ』より引用)

ティエラッシュは、フランス北部からベルギーにかけて広がる地域の一部にあたります。現代の行政区間と比較すると、フランス側では3つの県、ベルギー側では2つの州にまたがるため、かえって境界がわかりづらいかと思います。ですので、もし地図をご覧になる場合は、フランスのオワーズ川とその支流であるセール川を探してみてください。その二つの川に挟まれた地域が、おおよそティエラッシュ地方です。

14~17世紀にかけて要塞化

【フランス】フランス北部ティエラッシュの要塞教会群
(画像=<パルフォンドゥヴァル要塞教会内部の階段 © Kanmuri Yuki>、『たびこふれ』より引用)

ではなぜ、この地域の教会は要塞化されたのでしょうか?それを理解するには歴史を遡る必要があります。最初にこの地方の教会が要塞となるよう改築されたのは14世紀で、これはのちに百年戦争と呼ばれる内乱の時代でした。また、より多くの教会が要塞化された16世紀の終わりから17世紀にかけては、三十年戦争に代表される宗教にまつわる抗争が絶えない時期でした。

そうして、当時このあたりは、フランス王国とスペイン領ネーデルランドとの国境地域だったのです。そのためこの地域の村々は、軍の侵攻はもとより、混乱に乗じた略奪に何度も晒されてきました。これらの被害から身を守ろうと行動を起こした結果が、教会の要塞化だったわけです。