それは恐らく歴史を否定し、人間のつみかさねて来た歴史を、「歴史」としてではなく、そのときどきの人間をとりまいて無気味な黒光りを発する、単一の、単色の背景と化してしまうようなものである。われわれの伝統文学のもつ基礎的なリアリティは、「歴史」に根差すのではなくて、恐らく後者から発していると思われる。歴史とは、虚無との人間の戦いである、と私は理解している。

何千年の遺跡遺物が、いくらごろごろしていても、それは、それだけでは歴史でもなんでもありはしないのである。それは、ただそれが重々しく存在しているというだけのことである。

198-9頁

後に「この「歴史」を形成しない凹型の思想」とも呼び換えられますが(203頁)、まぁ社会全体がLet it Go みたいな発想のことですよね。世の中は結局なるようになるだけで、人間があがいてもその蓄積を無化するすり鉢のように、洞窟の闇に吸い込まれて消えてゆく。レリゴーと違って明るくないけど。

ここで唐突に、川端康成が戦前に唱えた無の哲学(「末期の眼」)に言及し、戦後にそうしたニヒリズムを「人類の敵だ」と罵ったら、亀井勝一郎や三島由紀夫もしぶしぶ同意したとの旨を添えるあたりが、進歩的知識人の面目躍如ですが、しかし、じゃあそうした社会に「歴史」を打ち立てるなんて本当にできるのか。そこは、堀田さんも気持ちが揺れている。

実際に同書の頃のインドは、ネルーが世俗主義に基づく近代化政策を採っていた――堀田風にいうと過去を進歩史観に乗せる「歴史化」を試みていましたが、目下のモディ政権はヒンドゥー回帰ですね。形式的には選挙をしても、他の宗教と共存する気は別になく、むしろ民主主義なる西洋の政体を「インド化」して呑み込んじゃった。

こうしてずぶずぶと、世界のどこでも(近代的な意味での)歴史はなくなり、それぞれの文明の神話だけが残っていくのか。歴史学者が怠けて考えようとしない(※2)、その問いはあまりに重いものと言えましょう。

(※1) 逆に小説家でも、ドストエフスキーだけは「人間が古代から、この曠野のような自然のなかで、いったい何をやって来たということになるのか」を模索した点で、インド的な存在だとされているのも(185頁)、BRICS時代のいま示唆が深い。先日の記事ともご対照を。

(※2) 『教養としての文明論』では割愛したのですが、実は1959年の学会誌でも、「歴史学者仕事してない問題」は以下のように指摘されてました。

そうした〔歴史観の〕停滞をやぶる動き……が、文学者や政治学者や社会学者や文化人類学者や、歴史学者以外の他の分野の人びとからむしろ出ているのは、歴史の好きな人間として、たいへん残念に思う。

堀田善衛、加藤周一、梅棹忠夫などの人びとが、わが国のあたらしい歴史意識、世界史意識の尖端的な担い手だというような現実は、歴史家にとって、べつにセクトを固執するわけではないが、けっして名誉ではないはずである。

三木亘「歴史叙述と歴史意識」 初出は『歴史評論』106号 『悪としての世界史』に再録、25頁

ここまで言われてから早65年。そろそろやる気出した方がいいと思うなぁ。こちらの動画もご参考にどうぞ。

編集部より:この記事は與那覇潤氏のnote 2024年6月29日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は與那覇潤氏のnoteをご覧ください。