よりスポーツカーらしく…新生Zの決定版、Z34誕生
1999年に日産自動車は一旦ほぼ破綻、いよいよ消滅かという危機にフランスのルノーが手を差し伸べて再生への道を歩みだし、ルノーが送り込んだカルロス・ゴーンの指揮によって過去に決別すべく国内販売網や車種の大幅整理を行い、V字回復を果たしました。
その過程で日産伝統のスポーツカー、フェアレディZも4代目Z32が2000年に生産を終えますが、ゴーン氏がZに特別な思い入れを持っていたことや、GT-R(R35・2007年発売)ともども新生日産のイメージリーダーとすべく、次期型の開発は続行。
2002年に発売された5代目フェアレディZ、Z33は復活して急成長を遂げる新たな日産の騎手として、大きな役割を果たします。
このZ33で、従来モデルからもっとも大きな変更点となったのは「2シーターのピュアスポーツ化」で、初代S30から4代目Z32まで設定された4人乗りの2by2は(少なくとも日本仕様では)設定されていません。
日本ならスカイラインクーペ(CV35)やGT-Rが4人乗りでしたから、Zにまで後席を設ける必要はないという判断だったかと思いますが、それゆえピュアスポーツとしてはまだ発展の余地があったわけです。
Z33から6年あまりと、基本的に販売台数が少なく、開発コストに時間を要しがちな2シータースポーツとしては短めのスパンで6代目Z34へとモデルチェンジできたのは、「こうすればまだまだ売れる!」という手応えと、余裕ある設計のたまものでしょう。