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ハッチバックの4代目を足がかりに、5代目は起死回生のFF化

ハッチバックの4代目を足がかりに、5代目は起死回生のFF化

「経営がヤバいと名車を生む」マツダの“不死鳥経営”はここから始まった?社会現象を起こした「赤いファミリア」|マツダ 5代目ファミリア【推し車】
(画像=FF2BOXのスマートなデザインで登場したファミリアは、当時のユーザーにとって憧れの1台だった,『MOBY』より 引用)

1977年に登場した4代目ファミリアは、まだ後輪駆動のFRレイアウトだったとはいえ先進的な2BOXハッチバックスタイルを採用、その実用的パッケージがヨーロッパでウケて大衆向け小型車としての魅力を回復します。

この4代目ファミリアや、燃費改善で低公害スポーツエンジンとしての魅力を回復したロータリーエンジンを積むコスモAP(1975年)で復活の足がかりをつかんだマツダですが、完全復活には国内外で爆発的にヒットする大衆車が必要です。

そこで4代目で確立した2BOX実用ハッチバックのパッケージを組み込んだ、新たなFF大衆車を開発、これが5代目ファミリアとして1980年に登場するや、目論見どおりの大ヒットを記録、当時圧倒的なシェアを誇るトヨタ カローラすら蹴落としました。

FF2BOXパッケージは日本だと軽自動車で1960年代から採用されていたものの、本格的に花開いたのは初代ホンダ シビック(1972年)へ発売直後に追加された3ドアハッチバック車から。

他にコンパクトカーでは初代三菱 ミラージュ(1978年)や、2代目スバル レオーネスイングバック(1979年)も追従しましたが、ファミリアはそれらと一線を画するスッキリスマートなフラッシュサーフェス(平滑化)&ウェッジシェイプ(クサビ型)ボディを採用。

1980年代の日本車が一斉にそのデザインを脱皮させる先陣を切った1台として、社会現象になるほどの大人気を誇ったのです。