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初代での成功も、ロータリーへの傾倒で苦戦したファミリア
初代での成功も、ロータリーへの傾倒で苦戦したファミリア
乗用車よりトラックなどの方がよほど重宝されていたかつての日本で、ダイハツと並ぶオート3輪や商用車の名門として、戦前から戦後復興期に大成功していたマツダですが、軽4輪のR360クーペ(1960年)に続き、1963年には初代ファミリアで小型乗用車に参入します。
当時の「商用車を休日にはマイカーとしても使うのがやっと」という世情を反映し、まずはライトバンで登場、次第にセダンやクーペといったラインナップを増やしていきますが、800~1,000cc級の乗用車としては美しいデザインに優秀な性能で成功を収めました。
1967年には2代目へモデルチェンジしますが、その頃には後にマツダの看板メニューとして著名になる「ロータリーエンジン」への傾倒が始まっており、ファミリアもコスモスポーツに続く普及モデルとしてロータリークーペをラインナップ。
ただし、1,000~1,300cc級に車格アップしたファミリアに大衆車としてのテコ入れは十分ではなく、1966年にカローラやサニーの初代モデルが登場、「マイカー元年」をスタートしていたライバル各社は、マツダによるファミリアへの扱いに首を傾げていました。
マツダとしてはロータリーさえ成功すれば、自動車メーカーとしての将来が約束されている…あるいは、生き残りを賭けていたようですが、ピックアップトラックやマイクロバス、大型高級セダンにまでロータリーを積む一方、大衆車はいささかおろそかになっていきます。
その結果、1970年代のオイルショックで燃費の悪いロータリーエンジンが「ガス食い」として一斉に評価が覆って不評になった時、ファミリア(当時は3代目)は既に、あまり魅力的とは言えないモデルになっていたのです。