速やかに下せなかったPK判定

佐藤氏は榎本主審がノーファウルからファウル(PK)に判定を変えたことを評価したうえで、問題点を指摘。主審のポジショニングや審判団のコミュニケーションに言及している。

「主審の判定は当初ノーファウルでしたが、実は副審がインカム(無線)で『PKだ』と主審に伝えていました。ただ、当日強い雨が降っていましたので、(主審に)聞こえなかったのかもしれません。ここで気になったのは、副審が『PKだ』と確信を持っているのなら、フラッグアップすべき(旗を上げて主審に知らせるべき)だったのではないか。試合中のコミュニケーションの方法は言葉だけなのか。無線で喋ることだけなのか。副審とはこの振り返りをしました」

「第4の審判員も、『PKかな』という印象を抱いたようです。ただ、(前田選手が)ボールにプレーしたかどうかが分からなかった。そして主審に尋ねられてもいないのに、『ボールに触っていないならPKだと思うよ』と発信してしまった。“ボールに触れてなければ”という前提条件がついた発信が、本当に適切だったのか。審判チームとして考えないといけないよねという話もしました」

「主審がここ(ペナルティエリア手前)に立っていて、果たしてちゃんとジャッジできるのか。正しい判定を下すための(反則地点との)距離や角度を考えたときに、これが本当に正しいポジションなのか。やはり考え直さなければならないかなと。ここではなくて、もっと(サイドへ)広がるようなポジショニングでないと、正しいジャッジはできないと思います」

主審のポジショニングの悪さと、乏しかった副審の情報伝達手段。これに加え、第4の審判員による不確かな情報の発信。審判団が正しい判定を速やかに導き出せなかった原因は、この3つだった。主審のポジショニングの改善も然ることながら、より高度な情報伝達をJリーグ担当審判員には求めたい。曖昧な情報は発信せず、自分が認識した事実のみを述べることも、コミュニケーションを円滑にするために必要だろう。


佐藤隆治氏 写真:Getty Images

欠けていた“納得感のある判定プロセス”

今回の騒動における最大の問題点は、主審があたかも長崎陣営の抗議(圧力)を受けて判定を変えたかのように、水戸陣営や観客に映ってしまったことだ。実際には審判団が長崎陣営の抗議をおさめた後、ピッチ上で集まり協議。そのうえで判定をノーファウルからPKに変えたのだが、DAZN(オンライン動画配信サービス)の中継映像にこの模様が映らず。ゆえに前述の印象が多くの視聴者に根付いてしまった。

佐藤氏もこの点を問題視しており、納得感のある判定プロセスの重要性を報道陣に説いている。

「主審はベンチ(長崎陣営)や副審、第4の審判員に呼ばれたからテクニカルエリアへ向かったのではなく、自らの判断で(下平監督のもとへ)赴いたと聞いています。判定の説明のためにベンチへ赴くことはあるでしょう。ただ、主審はPKではないと判定しているのに、ベンチの人たちはPKだと思っている。その状況でPKではない旨を説明して、『はい、わかりました』という答えが(すんなり)返ってくることは、なかなか無いと思います。主審がベンチに赴いてはいけないという話ではなく、行くことが本当に良いのか(最善策なのか)という意味です」

「本当に自信を持ってPKではないと判定しているのなら、ベンチの人よりも主審のほうが近くでそのプレーを見ているので、最初の判定をそのまま受け入れてもらうという風にもできたと思います。自分の判定に疑義があるなら、まず向かうべきはベンチ(下平監督のもと)ではなく、副審や第4の審判員のところじゃないですかと。あの場面で主審が最初に向かうべきは、本当にベンチだったのか。そこは考えるべき点です」

「その場でできる最大限の努力、できることを審判団はしたと思います。主審も高圧的でない態度で水戸のキャプテンときちんと対面し、なぜ判定を変えたのかを説明しました。『(前田選手が)ボールにプレーしているかどうかが分からなかったので、PKというジャッジは僕にはできなかった。けれども副審や第4の審判員から助言を受けたので、PKにしました』と。この主審の姿勢は大事だと思います。水戸のキャプテンの選手も、色々な思いがあるなかできちんと話を聞いてくれました。僕ら審判員としてはありがたかったです」

「キャプテンとの対話だけでなく、主審は自らの判断で水戸のベンチ(テクニカルエリア)へ向かいました。このとき既に水戸の監督さんはベンチに座っていたのですが、主審は彼ともきちんと話をしたいと。監督さんにも色々な思いがありながらも、主審の話をしっかり聞いてくださりました。そのうえで『テクニカルな部分(競技規則上、前田のプレーがファウルに相当すること)に異議はありません。ただ、判定変更に至るプロセスについては受け入れられない』と、監督さんが主審に伝えています」

「(今回の経緯は審判団が)一生懸命やった結果だと思います。僕らもこれを見直したときに、(当該審判員に)怒ってはないです。ただ、レフェリーの仕事とは何かをもっと考えないと駄目だよねという話です。正しい判定をすれば(そこまでの過程・段取りは)何でも良いのか。そうではありません。もっと良いやり方はありますし、正しい判定を周りの人が受け入れてくれるようなやり方をしなければなりません」

判定の正誤のみならず、そこまでに至る過程にも納得感を持たせる。これは佐藤氏が過去のレフェリーブリーフィングで再三に渡り口にしている信念であり、これがJリーグ担当審判員に浸透するまでに、まだまだ時間がかかりそうだ。