何が「やらせ」に該当するのかは非常にあいまい

 テレビ東京は、こうした捜査員同士の会話は摘発の後で捜査員たちに演じてもらった「再現」だと説明しています。社長らの謝罪会見では、本来であれば「再現」とテロップをつけるべきだったのにつけなかったことが問題だったとしています。漏れがあった、つけ忘れたという説明です。ところが、実際にどの場面が「再現」された場面だったのかという詳しい説明をしていません。テロップをつけていれば問題なかったのに、それをつけなかったという点だけがテレビ東京の側が説明した内容です。

 通常、テレビのドキュメンタリー番組や報道番組でどうしても撮影することが困難で「再現」に頼らざるを得ない場合があります。現場にカメラが入ることが不可能なケースで、映像でその場面を再現して表現するほうがわかりやすい場合に使われます。典型的なのは政治家同士の密室でのやりとりです。たとえば今なら岸田首相と麻生副総裁の密談の様子などがありうるかもしれません。解散総選挙をいつ行うか行わないか、東京都知事選で小池百合子知事をどこまで応援するかしないのかなど、今後の政局を決めるような重要な会談です。報道番組では記者たちが集めた綿密な情報を元にして「再現」していきますが、俳優など、その当人ではない「別の人」が演じるという方法であり、当の本人が演じると不自然でウソくさくなってしまいます。このため、問題はテロップをつけなかったことではありません。本人がすでに行った過去の行為を演じたにもかかわらず、「再現」というテロップをつけなかったのは、番組制作側が最初から確信犯で意図的にリアルに見せかけようとしてやったのだろうと私はにらんでいます。

 本人がやった行為をその本人が演じて「再現」というテロップがつけられれば、誰が見ても不自然な映像になってしまいます。バレないので済むのであれば、テロップをつけない状態で放送し、リアルな場面を撮影したというかたちにしたほうが番組上の説得力を出すことができます。今回は不起訴になった業者側が指摘したことでバレてしまったわけですが。一般の視聴者からすればどこまでがリアルなのか再現なのかはわかりません。当の警察官に自分が実際にやったことをもう一度やってもらう、というのは、「再現」というよりもテレビの世界では「やらせ」と呼ばれているものに近い行為です。

 何が「やらせ」に該当するのかは非常にあいまいです。何も演出していない「ありのままの状態」を見せるのがリアルなドキュメタリーだというイメージがありますが、実際の撮影ではグレーなケースは頻繁にあります。主人公が歩いて現場にやってくる場面で、カメラマンがバッテリーのチャージなどで撮り逃がしてしまい、「すみません。もう一度、向こうから歩いて登場してください」などと要請し、撮影し直すというケースは頻繁にあります。実際にその人がその建物に入っていった「事実」には変わりないので、テレビ撮影の現場では大目に見られています。

 番組を制作する側がなんらかの「作為」をした場合、それがすべて「やらせ」=「アウト」ということになると、テレビ番組の制作は相当に息苦しいものになってしまいます。「その行為を行うことが“事実”として認定されることが確実な状況」であれば、多少の作為的な撮影は許される範囲内だというのが、どの局でも共通の認識です。つまり、結果的に「ホント(事実)」であると判断される場合はギリギリセーフと判断します。他方で制作者側の関与によって本来はやらなかった行為をさせてしまうと「ウソ」になるので、「捏造」とされて「アウト」のケースになります。「実際にはない事実を作り上げてしまう」(事実の捏造)や「事実をゆがめてしまう」(事実の歪曲)が許されない行為であることは明確です。