アルゼンチンのハビエル・ミレイ大統領について、自由主義者からの批判の声があります。

無政府主義寄りのリバタリアンは、ミレイの行動は妥協的だと批判します。また、リベラルに近い自由主義者は、ミレイの宗教・中絶などについての発言を批判する傾向があります。

様々な意見があることは良いことですし、むしろ個人崇拝はリバタリアニズムからは離れた考え方です。しかし、今回はあえてそれらの批判に反論したいと思います。

自由主義という大義を掲げ、具体的な政策の理想を示すことは非常に重要です。しかし、政治は現実の中で一歩ずつ進めることが必要です。

暴力的な革命ですべてをひっくり返すことはできませんし、それは自由主義とは逆の危険な考えです。独裁国と違い民主主義の国である以上、たとえ大統領だとしても改革には議会や国民の支持が必要です。

国民には様々な思想の持ち主がいます。社会主義者もいます。粘り強い説得とともに、最重要の政策を実施するために、優先度の低い政策で譲歩するしかないこともあるでしょう。

以前に紹介したように(下記のnote記事参照)、ミレイの政策により、アルゼンチンの失業率は一時的には上昇し経済的な混乱が予想されます。

民主主義の国では政治家は選挙で選ばれるので、短期であったとしてもこのような「改革による痛み」は、政権の支持率の急低下に直結するので政治家(とその関係者)にとっては避けたいことだと思います。

実際問題として、倒産や失業の当事者にとっては、その改革者を許せないし、大いに恨むことでしょう。

痛みなくして改革はできません。しかし、痛みが大きすぎると改革を実現する前に支持率低下により政治権力を失い改革を実行することはできないでしょう。この政治的なバランスは本当に難しいと思います。

ミレイ大統領は頻繁に渡米し、トランプ次期大統領候補や主要な政治家と会談したり、イーロン・マスクなど著名人と会ったりしています。世界から注目され続けることで、アルゼンチンへの経済的協力を含む連携を強化させるべく努力していると思います。

Atlas Societyの元Director of Programsでもあるリバタリアンの経済学者のウィル・トーマス氏は、自由主義研究所のインタビューに答えて次のように話しました。

ミレイの政策は、ところどころでリバタリアンからは批判に値するでしょう。しかし、彼がリバタリアンの理論を理解し、自由市場を重視する経済学者であり、政府予算の均衡化とマネーサプライの増加阻止を前進させたことは間違いありません。

また、ミレイの師である自由主義経済学者ヘスース・ウエルタ・デ・ソト教授は「政治は困難で危険な場であり、そこに足を踏み入れることは勧められない」と言います。

しかし、それでも政治の世界に入って大統領にまでなったミレイを称賛し、「アルゼンチンでのミレイのプログラムがどうなるかはわからないが、私たちはすでにミレイから計り知れないほど価値あることを享受している。彼が人類のためにしたこと、それは、自由という考え、無政府資本主義といった言葉を世間に広め、市民を無気力状態から目覚めさせたことだ」と続けます。

Professor Huerta de Soto on Javier Milei

自由主義やリバタリアニズム、オーストリア学派の経済学は、日本ではほとんどまったく知られていませんし、世界でも少数派です。その中で、リバタリアンがアルゼンチンの大統領に選ばれたことは、画期的なことです。大統領だからこそ、その発言や行動が注目され、それによって「リバタリアニズム、オーストリア学派の経済学」が世間に認知されうるのです。

リバタリアニズムやオーストリア学派の経済学の考え方は、社会主義や全体主義に対抗するためにも不可欠の思想です。

これらがほとんど無いからこそ、日本が福祉主義に名を借りた全体主義的な国家になり、社会主義への道を進むのを阻止することができないのだと思います。

ミレイは完璧ではないかもしれません。しかし、例えば彼のダボス会議での発言(下記のnote記事参照)は、世界中で注目され、自由主義の賛同者を増やすきっかけを与えました。世界の自由主義者に勇気を与え続けていると思います。

今後、ミレイの政策やアルゼンチンがどうなるかはわかりませんが、現段階でミレイを攻撃する自由主義者の発言は残念です。社会主義者や権威主義者がミレイにする攻撃と同じことをする必要はないと思います。