日本の不動産の制度については思うことはたくさんあります。19歳の時に宅建を取った際に勉強したのは実務としてのルールでしたが、大枠としての不動産のあり方については一切問われませんでした。近年、難しくなった宅建と言われますが、試験の本質は今でも変わらないでしょう。不動産のあるべき姿と時代の変化をどう変えていくかという大所高所は問わず、細かい実務の修正に留まっている気がします。
その話をし始めるといくらでも書けるのですが、その一つが日本の農地政策です。通常、農地には家は建てられません。但し例外事項としてその農地を所有する農家の人は家が建てられるのです。これがかつての農家御殿に繋がったのですが、基本的に日本は小作農が多い中で農地に家ができるとまるで住宅地と農地が混在しているように見えるし、自治体は立派な道路も取り付けます。
大学生の時、クラスでなぜ日本の農業に競争力がないのかという議論の答えは大規模機械農業が出来ないからと記憶しています。アメリカでは飛行機で農薬を散布するなど規模の農業で圧倒していた時代でその一方で日本では食糧自給率云々が話題になっていた頃です。なぜ、政府は農地に農家の家を建てることを認め続けたのか、これがなければ日本は大規模農業が出来た素地があります。(自民党と農家の結託がいかなる改革にも抵抗となったこともまた事実です。)あと農業の法人化を推進、展開できなかった点も失策で、JA(農協)が悪玉だったと考えています。つまり小作農の推奨になってしまい、農業の法人化、規模の追求が不動産の仕組みからしても展開できなかったのです。
不動産は国交省が主幹ですが、小手先の政策ばかりで根幹を変えるような仕組みの変更を取り入れなかったのはnegligence (怠慢、過失)と言われても仕方がないでしょう。
さて、今日のテーマであるいらない不動産という発想は我々の世代では考えられないことですが、本当に要らないものになった不動産を故人から押し付けられる面倒くささについては今後、もっと大きな話題になるのでしょう。
不動産が輝きを放ったのは80年代終わりまで。その後の世代に於いて不動産は負動産であり、置いておけば金がかかるものになりました。越後湯沢のマンション群、その所有者は固定資産税や管理費などに頭を痛め、「どうにか所有から解放されたい」と思っていた人は多いはずです。子供たちに「湯沢にマンションがあるぞ」と自慢しても「父ちゃん、湯沢まで行く新幹線代のほうが高いぜ」と言われかねないし、「ぺんぺん草が生えているとこよりもっといい温泉や観光地に行きたい」と言うでしょう。
近年、管理が悪く、危険度の高い空き家は自治体から所有者に警告が来ます。しかし、壊してしまえば固定資産税が6倍になるデメリットがあります。だから親から引き継いだ子供たちはじっと何もしないわけです。すると何が起きるか、というと街全体がボロになるのです。街は世代交代し、新陳代謝させなくていけません。新しい世代が街を引き継ぎ、魅力ある街並みを造らないからシャッター街が生まれるのです。それは行政が規制を時代に合わせて変化させなくてはいけない、だけどそんな器用な役人は一人もいないし、いたとしても役人のお上がNOという、それが日本であります。