赤狩りの喚問を受けても、知っている共産党員や主義者の名前を挙げず、証言拒否を通じて「友情を守る」ことの尊さを、ひそかに讃える作品になっていたわけである。
一方でこの作品は、違った角度からも政治的に見ることができる。舞台が1950年代初頭のローマだとすると、マーシャル・プランの少し後。第二次大戦の敗戦国イタリアに対し、米国が持つ経済的な覇権は圧倒的で、その援助なしには復興が立ちゆかない状態にあった。
実際に作品の中では、当時のイタリアの通貨リラに対する、米ドルの優位性がなんども強調される。ペックが登場する場面では、記者どうしがポーカー賭博に興じており、カメラマンが6500リラを稼いでも約10ドルだ。一方で翌日、彼が支局長と行う「王女の独占スクープを書けるか」の賭金は5000ドルで、比較にもならない。
出奔中の彼女をすでに保護し、あてのあったペックは「僕が勝って、ニューヨークの本社に戻りますよ」と誇らしげに宣言する。秘密の取材を兼ねたデートの最中に王女がスクーターを暴走させ、一同は警察署に呼ばれてしまうが、アメリカの通信社の記者証を示すとあっさり釈放される。
しかし、そうした欧州に対する米国の優位は、いつまで続くだろうか。「アメリカが保護するからこそ、ヨーロッパに慕われる」という関係は、永遠のものだろうか。
作品の末尾、互いに寄せるようになった慕情を知りながらも、王女は母国の使節団の下に戻り、嫌がっていた退屈な公務に就くことを決断する。しかし、1日きりとはいえアメリカ人記者との逢瀬を体験した彼女は、かつてよりも遥かに威厳と責任感を備えた「王族」になっている。
なぜか。ローマの休日を経たことで、初めて彼女にとっての王女の地位は、生まれゆえに仕方なく従うものではなく、自らの自由意思で選ぶものになったからだ。
ざっくりと理念化すれば、王室や封建制の歴史を有するヨーロッパでは、「伝統」の価値が重い。しかしそれが、すべてを一から選ぶことで建国されたアメリカとの接触を通じて、ただ伝統に従うのではなく「選ぶ」という体験を初めて持つ。
保守主義とリベラリズムとが矛盾せず、美しく調和するファースト・コンタクトを、オードリー・ヘップバーン(本人もベネルクスの出身)の王女が象徴する「欧州の側」は体験することができた。これが、『ローマの休日』で描かれる片面だ。
しかしもう片方の面、グレゴリー・ペックの通信社記者が代表する「米国の側」にとっては、どうだったろう?
映画の末尾はコロンナ宮殿での、王女の記者会見だ。堂々たる受け答えをこなす自立した女性となった彼女に、アメリカ人記者は「休日」の隠し撮り写真をすべて手渡し、ともに互いの友情を確信しながら別れる。しかし会見の終了後、宮殿内に独り残されたペックの姿は、どこか寂しい。
彼、すなわちアメリカには、王女の身のこなしや宮殿の様式美(つまりヨーロッパ)が象徴するような「伝統の型」がなにもない。すべてが自由であらゆる選択肢が可能だったアメリカという文明にとっては、なにを選ぶことが自らの成熟につながるのか、そのモデルがないのだ。
実は、セリフの形で映画に頻出するもうひとつの政治的なモチーフが、欧州の「連邦化」である。後にECを経て今日のEUに至る、ECSC(欧州石炭鉄鋼共同体)が発足したのは、映画公開の前年にあたる1952年。
『ローマの休日』のペックとヘップバーンのように、アメリカがヨーロッパに自由を教え「庇護」する関係がずっと続くなら、同作も美しいラストシーンで終わることができたのかもしれない。しかし、そのようには映画を終えなかったワイラー監督の直観は、いま正しさを証明しつつある。
たとえばロシアを離れて「ヨーロッパ」になろうとするウクライナを支援する意思は、濃淡の差はあれEUにはまだ残っていよう。しかし、今日なお同じものをアメリカに期待するのは、よほどのお人よしだけである。
米国と中露の「新冷戦」のように形容されても、そこにマーシャル・プランはもうない。今月7日にはゼレンスキー大統領が「ウクライナ敗北」の可能性を口にして反響を呼んだが、それに心動かされた米国人が多いとも思いがたく、殊にトランプ支持者は冷笑するのみだったろう。
日本人はつい「欧米」と言いがちだが、実は「欧と米」が一体であり得たのは、歴史上のごく短い例外期にすぎなかったと、これからは振り返られるのかもしれない。その最も幸せな季節に撮られた『ローマの休日』にすら託されていた不穏を、私たちは読み誤ってきたのかもしれない。
2022年の2月にウクライナ戦争が始まった際、圧倒的に多数の識者が、自由民主主義を掲げる「西側世界の結束」をうたった。僕自身もそう思った。しかしその帰結はいまや、欧と米との分離による「西側世界の解体」になり始めてすらいる。
誠実な人はそのとき、グレゴリー・ペックのように呆然と立ち尽くすだろう。そうでない人だけが「自由世界を守る戦争だなんて言ってない。ウクライナ人が『戦いたい』というから、つきあってあげただけ」と、言い訳して逃げ出すだろう。
70年前の名画が終幕に湛えた余韻が、これほど痛みを込めて胸に迫る時代もあるまい。
(ヘッダー写真は、なんといま再公開中の日本語吹替版の公式サイトより。ここまで長く、広く愛され続ける映像作品は、今後生まれるでしょうか)
編集部より:この記事は與那覇潤氏のnote 2024年4月15日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は與那覇潤氏のnoteをご覧ください。
提供元・アゴラ 言論プラットフォーム
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