北米においてアメリカやカナダの各州はかなりの自治権をもっており、様々な問題について連邦政府と州政府が対峙するケースは数多くあります。それらの問題を間近で見てきた中で州知事が自らの支持地盤を守るために考えを変えないというケースが多く、結局選挙で票を入れてくれた人への忠誠と反対票を入れた人への仕返し的な政策が多くみられます。
日本では県の自治権は北米ほどではないですが、一定程度あり、特に工事は沖縄の例のように、もめるわけです。あるいは新潟の原発再稼働問題でも折衝して国益や県としてのベネフィットよりも知事の保身に走る点で県政が偏ってしまい、県民は最終的に損をすることもある点を改めて考えるべきでしょう。
知事が在任中に公約から考えを変えてはいけないことはないのです。なぜなら選挙公約とは選挙時の条件、予見のもとにそのような発言をしていたわけであり、折衝により諸条件が変わってきた場合、それを了とすることは当然あるべきであり、知事の器量と度量の大きさであるとも言えます。川勝知事はその点において自分の殻から抜け出せなくなったかわいそうな方だったとも言えます。
それ以上に日本は政党政治の背景が強く、すべての判断が政党の思想に基づかなくてはいけないという感じが日本を面倒くさいものにしていると思います。個人的には地方自治体ぐらいになれば政党ではなく、案件ごとに議員が判断する無政党議会の運営に変えていくべきでしょう。カナダの地方自治体はそのようになっており、結果としてすべての市政の案件は色がない状態で市長以下が議論して判断をするようになっています。
考えてみれば日本の政治は政党間の主義主張のぶつかり合いが主体で本当の意味での政治をしてきたのか、といえば否であると思います。政策を真剣に考え、議員が政党色に染まらないピュアな政治家を輩出できるような時代になればよいのですが、さて、100年ぐらいたてばそうなるのでしょうか?
では今日はこのぐらいで。
編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2024年4月3日の記事より転載させていただきました。
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