別に不老のクスリの宣伝をするわけではありません。人間だれしもある程度の年齢になると見た目や身体能力とともに考え方も老化することがあります。しゃべり方に妙に固執感があったり、話が長くなったり、あるいは自分の考え方を変えるフレキシビリティが無くなってきたりします。よく言えばその方の完成された人生観、悪く言えば頑固一徹であります。
日経に「現実味を帯びる定年廃止論 やる気引き出す工夫が必要」という電子版記事があります。日本でも一部の企業が定年を廃止したり、廃止を検討しているものの一筋縄ではないだろうという長所短所織り交ぜた内容になっています。
私が読んだ限り、一つのポイントは解雇できない日本の制度において定年は企業にとって数少ない「人員調整」の手段だという点です。よって定年制度が無くなれば会社にとってやりにくい人がいつまでも残ることになり、欧米で当たり前になった定年廃止と同列で語れないとされています。
日本では本社や支店といった管理業務主体の場では仮に定年廃止になっても一定年齢の方が活躍できる機会は少なくなってくると思います。理由は管理業務はスピード感と高い集中力、さらに日々刻々と変わる事業の流れや業務や交渉の変化を捉え、自らが走りながら処理をしていく、本来はそんなイメージだからです。
例えば工場でベルトコンベアで流れてくる部品を処理する業務の従業員は自分が動かないで流れて来るものを処理します。一方、管理業務の場合は本質的には業務の流れとともに自分も一緒に流れていき、フットワーク軽く臨機応変に対応できるか、それが勝負だと考えています。
ですが、実際には管理職の多くは部下や現場に「おい、〇〇はどうなっているんだ!」という上から目線。これだと一定年齢になったら本当に使い物にならなくなるのです。デスクに張り付いているのは「デスク」と呼ばれる司令塔の人だけで良いのです。刑事ものの小説で捜査本部ができると捜査員は一斉に外に飛び出していく、あのイメージです。
私の同期など周りはどんどんリタイアしつつありますが、私自身は若さを維持していると自負しています。体力的なものもありますが、管理業務と現場業務を両方こなしているからでしょうか?
もう一つは外国での業務だということはあるかもしれません。やり取りする人には様々な人種の様々な背景の方、また高いレベルの方もいるし、現場の方々もいる、そのような職場環境でいろいろな方々と話をまとめていかねばなりません。これはかなりしんどい。そして自分でやらねばならないのです。頼る人もいないし一緒にできる人も少ない、するとずっと緊張し続けなくてはいけないのです。