それがこちら。

今年、2014年は少し増えましたが麻疹感染者はまだ13名。2019年の744名・2018年の279名には遠く及ばないレベルです。

というか、忽那先生も、記事内にこのデータ載せておいて「麻しんが日本国内で増加中」ってタイトルつけるの、自分でも『あれ?』って思わないのかな・・・。

「医療が過剰に煽る」ことの馬鹿馬鹿しさ

そう思って調べてみたら、実は忽那先生、去年も全く同じような記事を書かれていました。

それがこちら。

麻しんの患者が国内で増加 自身のワクチン接種歴を確認しよう

タイトルもほぼ同じ、サムネイル画像も同じ、「〇〇から麻疹が国内に持ち込まれた…」から始まる内容もほぼ一緒。でもよく見ると、日付が2023年です。

この時も『麻しん患者増加中』と恐怖を煽るいつものやり方。で、結局去年も大流行になんて全然ならず、上の表の通り1年間でたったの28名の感染で終わっています。

つまり、忽那先生は去年も麻疹の恐怖を煽っていて、しかもそれが結果として見当違いだった…それなのに、今回もまたそこにはダンマリでまた恐怖煽りの記事を書いている、ということになります。

ちなみに2019年の記事も。

麻疹(はしか)が再び増加傾向 麻疹流行を防ぐためにできることは?

煽れそうな年は必ず煽るのがもうお仕事みたいなものなんでしょうね。

では、果たして我々はこのニュースをどう受け取れぼいいのでしょうか?

感染症の恐怖を日常にしてはいけない

京都大学教授・藤井聡先生の最近の研究で、こんなものがあります。

「驚くべき事に、コロナの報道量を支配していたのは、単なる「経過時間」(コロナが流行し出してから何年何ヶ月経ったか、という数値)であり、客観的な致死率や感染者数、死亡者数の影響はやはり、限定的あるいは皆無であった」

(出典:「新」経世済民新聞)

つまり、国民の不安や恐怖感を増幅し続けた「コロナ報道」の量は感染症の被害の大きさや致死率などの本質的な問題によって決まっていたわけではなく、「時間経過」(受け手が興味あれば煽るし、飽きたら終了)という本来どうでもいい要因で決まっていただけ、ということです。

そう考えると、麻疹(はしか)の報道もその通りですね。だって、大して増えてもいないのに、「恐怖を煽る」いつものやり方がまかり通っているのですから。

コロナ禍を通して、大量に浴びせられたこうした「感染症の恐怖」。

我々はもう慣れてきてしまっている面がないでしょうか?

しかし、現実を見るとこれは本当に恐ろしいことです。

未だに残る「感染症の恐怖」

今この記事を読まれているような方々、健康に日常生活を送られている方々は、もうすでにほぼ通常通りの日常生活を取り戻しているでしょう。

しかし、日本の国内にはまだまだ「感染症の恐怖に基づくシステム」から抜け出せない方々も多くいらっしゃいます。

それは病院・高齢者施設などで生活されている多くの高齢者の方々、障害者施設の方々などです。日本国内に何百万人をおられるこうした方々の多くは、未だに「面会制限」「外出制限」の管理下に置かれています。

もうコロナが始まって4年が経ちます。4年間も家族にもほとんど会えず、買い物に行くことすら出来ない、ずっとこうした制限の中で生活を強いられてきた方々は、いつこの生活から抜け出せるかも全くわからないのが現状です。

本来、これは「移動の自由」「集会の自由」という基本的人権を毀損する、明らかな「人権侵害」です。

しかし、コロナ禍において人権は公衆衛生の大合唱の声にかき消されてしまいました。「感染症蔓延防止!」「クラスターになったらどうするんだ!」という「感染症的正義」の前で人権は「一回置いといて」ということが世界でまかり通ってきたのです。

また、あまり知られていませんが、こうした公衆衛生の大合唱の中で、「日本人の自殺数」は2020年から激増してしまっています。

出典: MedicalFacts.info

こんな世の中で、本当に大丈夫なのでしょうか?

もちろんそれは、世界を席巻し甚大な被害を出した「新型コロナ」なのだから、仕方なかったかもしれません(日本や東アジアでは被害は非常に小さかったので別の議論が必要ですが)。

でも…百歩譲って新型コロナではそうだったかもしれませんが…、今回の「麻疹(はしか)」でそのような騒ぎが必要でしょうか?

感染症専門家が毎年のように喧伝するオオカミ少年的な「感染症の恐怖」に毎回付き合っていたら、本当に大事な「国民の健康な生活」は確保できるのでしょうか?

医師法第一条には、

「医師は(中略)国民の健康を確保するものとする」

と書いてあります。

感染症専門家は本当に「国民の健康」に目を向けてくれているのでしょうか?

今、世界はすでにコロナ禍を脱しています。マスクをしているのはほぼ日本人だけです。

大して流行もしていない「はしか」の馬鹿馬鹿しい騒ぎは、こうした本質的な問題を考えるいいきっかけになるのではないでしょうか。

そんな「国民的議論」が巻き怒ることを、僕は期待しています。

提供元・アゴラ 言論プラットフォーム

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