黒坂岳央です。

「忙しいことはいいこと、悪いこと」

日々、このテーマであちこち議論が繰り広げられている。概ね、ざっくりとした印象のところでサラリーマンにとっては忙しさとは有能さ、人望を示すポジティブなものに対して、フリーや経営者はその逆というイメージがあるのではないだろうか。

その理由として、サラリーマンは仕事を受けてさばく立場なので、優秀だとより多くの仕事が集中して結果として忙しくなる。また、フリーや経営者は仕事を自分で作る必要があるので、忙しさを上手にハンドリングして得た余暇時間は未来の粗利を作り出す源泉になる。こういった両者の違いがある。

状況や立場の違いはあれど、個人的には忙しさは量で語るのではなく、質で考えるべきだと思っている。

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質の低い忙しさ、質の高い忙しさ

質で考えろ、ということは質が高い、低い忙しさが存在するということだ。

質の低い忙しさとは何か?仕事においては労働生産性と直結する。たとえば質の低い忙しさとは新人社員に電話番をさせたり、議事録を取らせるという仕事を任せることがこれに当たる。

新人は知識や経験が不足しているので、何をやっても時間がかかる。突発的な対応や状況判断が必要な電話対応をさせたり、内容の理解が伴わない中で質の低い議事録を作らせるのは明らかに悪手だ。結局、ベテラン社員に聞いたり確認したりと手間がかかるので、トータルでチーム全体の生産性が低下する。それなら最初からベテランがやって確実に片付ける方が効率的な場面もある(もちろん状況によって変わる)。

最近だと議事録を取るならAIがいい。新人は議事録の取り方を訓練するより、AIの使い方を覚える方がよいだろう。こうした労働生産性が低い忙しさは疲労やクリエイティビティを損ない、思うように仕事が進まずイライラするが肝心の粗利を稼げないということが起きる。

一方で質のが高い忙しさはこの真逆だ。つまり、労働生産性が高まる活動で大部分の時間を過ごすということである。

たとえば生成AIの使い方を覚えるのは誰でも最初は時間がかかる。AIは魔法の箱ではなく、巧みな質問、プロンプトを求められる技術職である。故に取得には時間を要する。最初は「これなら自分でやったほうが早いのではないか」とやきもきする瞬間があるが、今苦労したり忙しくなっても時間の使い方としてトータルで考えるとAIの使い方を上達させる方がメリットが大きい。