3月20日、ポーランドのシュチェチンで農民デモに遭遇した。主要道路には巨大なトラクターが何百台も整然と停まっており、その列は延々と町の中心広場に繋がっていた。
広場では、農民らは三々五々、集会を待ちながら歓談。皆、背中に「連帯」と書かれたお揃いの黄色いベストを着ている。
EUのあちこちで繰り広げられている農民デモというのは、EUの農業政策に対する長年の不満が爆発したものだ。不満の元凶は、EUの官僚主義が底なし沼のようになっていること。農業について何の知識もない官僚が、農民からみれば何の役にも立たない規則を何百も作って押し付けてきて、しかも農家には、それらについての詳細な報告義務が課せられている。その処理だけでも膨大な時間がかかる。
中でも環境規制が法外に厳しいらしく、22年、オランダでは、まさにそれが原因で農民が立ち上がった。ドイツでも、環境規制をクリアできず、農業を放棄する農家が続出している。先祖代々耕してきた土地を離れなければならない農民の怒りと悲しみは大きい。
ウクライナ産小麦の問題ただ、ポーランドの農民デモには、もう一つの大きな原因がある。世界の穀倉、ウクライナだ。ウクライナ戦争前、世界で取引されている小麦の4分の1は、ロシアとウクライナ産で、21年、ウクライナの小麦は主に、エジプト、インドネシア、トルコ、パキスタン、そしてモロッコに輸出されていた。
ところが、戦争勃発後、ロシアによる港湾封鎖で穀物の輸出ができなくなった。それがウクライナのみならず、安価なウクライナ産の小麦に依存している貧しい国々に食糧不足をもたらす危険が生じた。そこでEUは22年6月、ウクライナの農産物をそれらの国々に届ける輸送路を提供しようと、EUの関税を一時撤廃した。そして、このアクションを、“連帯の回廊”と名付けた。
ところが、ウクライナの農作物はEU国境を超えた途端、ポーランド、ハンガリーなど隣接の国々で売却されてしまった。そのため、特にポーランドでは、油料種子、とうもろこし、鶏肉などの価格が暴落し、そこで、このままでは耐えきれないと判断したポーランド政府は、ハンガリーと共に、ウクライナからの農作物の流入を禁止した。本来なら、EU国の交易に関する権限はEU本部にあるのだが、背に腹は変えられず、さらにスロバキア、ルーマニア、ブルガリアの3国がこの措置に追随した。
翌年5月、これら東欧5カ国とEU委員会が合意に至り、まずは23年9月14日までという期限付きで、ウクライナの農産物のEUへの輸入が再開。ただし、一部の農産物はEU内での販売が禁止された。東欧の5国は、この措置は当然、9月15日以降も延長されると思っていたらしい。
ところが9月に入ると、EU委員会は、農業市場の歪みは解消されたとして、制限を撤廃。しかもウクライナには、「今後は市場のバランスを十分考慮するよう」と要請しただけだったので、これが、東欧だけでなく、フランス、ドイツ、オランダなど、EU中の農家を怒らせた。
そこでポーランドのモラヴィエツキ首相(当時)は即座に、「ブリュッセル官僚の怠惰のせいで、我が国の農業が壊されるのを看過することはできない」として、ハンガリー、スロヴァキアと共に、ウクライナからの農産物の輸入禁止に踏み切った。するとそれに対し、ウクライナの通商大臣が、この3国をWTO(世界貿易機関)に提訴した。