
(画像=『TOCANA』より引用)
2022年1月15日、共通テストの会場となっていた東京大学正門前で受験生を狙った刺傷事件が起こった。犯人は名門・東海高校に通う当時17歳の少年。東京大学でも最難関である理科三類を志望していたが、成績が低迷し、教師や親に進路変更を勧められ、自身の存在意義を見失ったことが動機だとされている。
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このように学業優秀なエリートが常軌を逸した事件を起こしたことは過去にもある。昭和26年、母親を殺害し、その脳を竹串で掻き出すという猟奇事件が京都大学で発生した。
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※ こちらの記事は2019年8月6日の記事を再掲しています。

(画像=殺害された箕輪健吉の母。朝日新聞大阪版夕刊1951年4月5日付、『TOCANA』より引用)
――京都大学の博士課程に所属。オカルト・宗教の専門家、神ノ國ヲが斬る!
昭和26年4月2日の午前11時15分。この忌まわしい事件の記憶を知る人は、ほとんどいない。約68年前、「京都大学」構内で殺人事件が発生した。あまりに凄惨な事件の内容に当時の人々は戦慄、驚愕した。
犯人・三輪健吉の人生
三輪健吉は、大正9年に、和歌山で母・山本はなえのもとに生まれた。山本はなえは、和歌山師範学校を卒業後、小学校教員として20年以上勤務。健吉が7歳で死に別れた父にかわり、女手一つで健吉を育てた苦労人だった。
健吉は、そんな母に支えられて、和歌山中学、関西学院専門部を経て、戦時下の昭和19年、台北帝国大学に入学。戦後、昭和21年、京都大学文学部哲学科に転校し、昭和24年に心理学専攻を卒業している。太平洋戦争を挟んだゆえか、遅咲きのエリートだった。
しかし就職できないままに、「推理小説家になる」という健吉の夢は大きくなり、やがてそれが破裂するに至る。三輪健吉、31歳の春だった。