■始まりは平安貴族の「ひいな遊び」

雛人形には、その家の女の子が「幸せな結婚ができるように」、「良い人と巡り会えるように」との願いが込められている。また、身代わりとなって厄を引き受けてくれる意味もあり、「娘が健康に育つように」という願いも込められている。

その始まりは、平安貴族の女児の間で行われた「ひいな遊び」だと言われている。紙で作った人形と家財道具に似せて作ったおもちゃを使ったいわゆる“ままごと遊び”で、江戸時代になると、宮中行事として雛祭りが取り入れられるようになり、次第に庶民にも広まっていった。

人形も、最初はお内裏様とお雛様だけであったものが、江戸中期になると段飾りが登場し、三人官女などのお付きのものや雛道具が飾られるようになっていった。