NHK大河ドラマ『光る君へ』を見ていて不愉快なことのひとつは、典型的な無責任で脳天気な世襲政治家である藤原道長が、あたかも責任感あふれる良心的な政治家として描かれていることです。
私の新著『地名と地形から謎解き紫式部と武将たちの「京都」(光文社知恵の森文庫)では、エピローグとして、「一時間でわかる紫式部・藤原道長・光源氏の生涯」というものを書いています。
今日は、そのうち藤原道長は良い政治家だったかというさわりを紹介しましょう。
『源氏物語』に出てくる光源氏のモデルは一人ではありませんが、仕事ぶりについていえば、道長がもっとも身近なモデルとして意識されたことは言うまでもありません。
「日本を創った12人」という堺屋太一氏の本では、「源氏物語」の主人公である「光源氏」が登場します。どうして架空の人物なのに採用したのかというと、あのような感じの貴族政治家が平安時代にいたのは歴史的事実であり、それは「上品な人」としての理想像となり、日本人の価値観に大きな影響を与えているからだといっていました。
この光源氏は財産収入だけで遊び暮らしている遊び人ではありません。今日で言えば内閣総理大臣に当たる太政大臣だったのです。
とはいえ、「源氏物語」に光源氏が現代的な意味での政治家らしい仕事をしていることは書いていませんし、外交、経済などの問題で悩んでいるようでもありません。
ひたすら年中行事や宗教行事を無事執り行うことに心を砕き、少しばかり人事に介入し、あとは和歌を詠んだり、色恋を愉しんだりしています。ずいぶんといい加減な政治家ですが、人望はたいへんなもののようです。
もちろん、後宮の女性から見たものですから、本当はもう少しまじめに仕事をしていたのかも知れませんが、道長自身の「御堂関白日記」やライバルだった藤原実資の「小右記」をよんでもイメージが根本的に変わるわけではないのです。
道長が「内覧」となってから死去するまでの時代が平穏無事な年月だったわけではありません。その直前に延暦寺と三井寺が分裂して日本史上最大の宗教戦争が始まり、尾張の国司藤原元命の横暴に住民から訴えられる事件もありました。九州では日本史上でも珍しい外国武装勢力による攻撃である刀伊の入寇がありました。