今回の滞日が無駄になりそうなことに筆者は悔しがった。ところが、夜中の3時頃に駅の交番からホテルに電話が入った。バッグなどすべて見つかったので交番まで来て欲しいということだった。それで中身をチェックするとなくなっていたものは何もなかった。何しろ、カタログ、サンプルそして衣類だけでお金になるものは何も入っていなかったからである。

外見が重そうなので、何か貴重品でも入っていると思って狙っていたのであろう。いつも読んでいた筆者にとって貴重な本までバッグの中にあった。それを見つけた警官の説明によると、いつも盗んだものを放棄する駅の裏の方を念入りに調べたところ筆者の所有物らしきものが見つかったということなのであった。

ホテルに戻って再び床に就いたのは朝方4時半ころであった。それで少し睡眠して難波道具屋筋のお客のところに予定通り10時に訪問できた。またその翌日も関空から札幌にカタログなど資料をもって訪問できた。

これも交番の警官が熱心に探してくれた賜物であった。後日、交番に再度お礼のメッセージを送っておいた。

この出来事がなければ四天王寺を訪問しなかったであろうし、またそこでお会いした方と長時間の立ち話もなかったはず。その人の語られた内容がその後の筆者の人生に大きく影響を与えている。これなどはそのような計らいが天で既に決められていたのだと筆者は感じている。

提供元・アゴラ 言論プラットフォーム

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