■経歴詐称、少女暴行、そして

 1969年、チャールズは教師の資格を偽造してダラス東部にある高校の生物学教師とフットボール・コーチとして働いていたとして逮捕された。高校で彼は素晴らしい教師だと生徒たちに認められていたため誰もが驚いた。保護観察に処され禁固刑を免れたチャールズは、その後も盗みで度々警察の世話になった。

 1981年、ダラス東部の教会に通うようになったチャールズは9歳の少女に性的暴行をしたとして逮捕される。少女の両親は「大事にしたら娘の将来がダメになる」と希望したため、ニュースになることもなく、チャールズも投獄されず、保護観察処分という軽い刑罰を受けただけだった。

 その後のチャールズは死んだ両親から9万6000ドル(約105.6万円)の現金と家を相続し、大工をしながらそれらの家を貸し出すことで生計を立てていた。その頃には離婚歴があり、子供が1人いたが元妻が引き取っており交流はなかった。

 1985年、チャールズはアーカンソー州の未亡人ディクシーと出会い同棲を開始、夫婦同然の生活を送るようになった。働き者のディクシーはギフトショップで働き夫婦の生活を支えるようになった。

 妻が働いている間、チャールズは娼婦を買いまくった。娼婦たちに「きみたちのことが心配なんだ」と言い、薬物を買って与えたり、ダイナーで食事をおごったり、性サービスを受けなくても100ドル(約1万1000円)の小遣いを渡したりした。娼婦たちの間でチャールズは「信頼できるおじさん」として知られるようになった。

 その一方で、チャールズは娼婦たちに対してサディスティックな性行為を強いた。体を縛り上げ、ロープや電化製品のコードなどで叩き、「叫べよ!こういうのが好きなんだろう!」と怒鳴りつけた。そして、手荒なセックスをした。

 チャールズは地元のシニア・ソフトボールチームのメンバーだったのだが、ある日、娼婦らしい女性たちがグランドの近くを車で走行していたのを見て、チームメンバーが「チャーリー!娼婦だぜ!お前、ひっかけてみろよ!」と冗談を言った。チームメンバーは冗談好きのチャールズに軽口を叩いたつもりだったのだが、急に怖い顔になりこう言った。「オレは娼婦って生き物が大嫌いなんだ。できることなら全員殺してやりたいくらいだ」

 その1年後、チャールズは娼婦殺しを始めたのだった。

【閲覧注意】女の眼球をくり抜きまくった凶悪連続殺人鬼チャールズ! 娼婦嫌悪と剥製制作、謎のコンドーム…
(画像=画像は「Getty Images」より,『TOCANA』より 引用)