■目玉に魅入られた男・チャールズの生い立ち
事件の50年前、オーク・クリフは犯罪がはびこる街ではなく子育てに最適な安全な街だった。1933年8月10日生まれのチャールズ・オルブライトは産後すぐ孤児院に預けられ、3週間後にオーク・クリフに住むオルブライト家の養子として迎えられた。
父親のフレッドは食料雑貨商で母親デルは専業主婦。デルはチャールズを溺愛したが躾にはとても厳しかった。極度の心配症でもありチャールズが問題を起こさないか、病気にならないか、自分はきちんとした食事を与えることができているのかを気にした。牛乳が体によくないと聞くと、やぎの乳を与えるため庭にやぎを飼うほどの心配症だった。
デルはピアノや絵画を学ばせ、教育熱心でもあったが、チャールズが自分の言うことを聞かないと暗い部屋に閉じ込めるなどの罰を与えた。愛情は注ぐが子供をコントロールしたがる養母の下、チャールズは女性に対して複雑な気持ちを抱くようになっていった。
デルはまたチャールズに自分の趣味である剥製作りを教えた。2人は近所をまわりリスや鳥の死体を持ち帰り、内臓を取り出し綺麗に処理してから縫い合わせた。最後に美しい偽の目玉を入れる作業があるのだが、デルは節約家だったため裁縫箱にある黒いボタンをつけるようチャールズに言った。目玉を入れて完成させたいのにできないチャールズは、剥製制作グッズを販売している店に入り浸っては偽の目玉を何時間も眺めていたと伝えられている。
厳格な家庭環境の中育ったチャールズの学校での成績はよく、特に理科と体育が得意だった。しかし、手癖が悪く教師から試験用紙を盗みコピーして友達に配るなどの悪さもした。そして次第に、自分の産みの母親は娼婦だと思い込むようになり、養母の愛を踏みにじるようになった。
盗癖はどんどんエスカレートし、貴金属店から時計を盗んだりするようになった。そして嘘をつくのがとても上手く、彼自身が自分で作り上げた話を信じ込んでいる節もあるようだった。
そしてついに、13歳の時盗難と暴行罪で逮捕される。15歳で北テキサス大学に進学するものの翌年再び盗難罪で逮捕されるが、今度は銃を所持していたため禁固刑を受ける。
出所後、チャールズはアーカンソー州立教育大学に入学し人生をリセットする。フレンチ・クラブのクラブ長になったり、イヤー・ブックの編集を行ったり、アメフトチームに入部しすぐに試合に出場するなど大学生活を満喫。人気者で誰もが彼にカリスマ的な魅力を感じていた。
しかし、友人がゴミ箱に捨てた元彼女の写真を取り出し、目の部分だけ切り取って、友人の部屋にベタベタ貼りまくるという気味の悪いこともした。だがチャールズは陽気な人気者だったため、誰もが「酷いいたずら」と一笑に付したという。
そんな人気者のチャールズだったが、手癖の悪さは治らず大学に盗みがバレて退学処分を受ける。彼は職を転々とした。問題を起こしたり、仕事に単純に興味を失い辞職したりということを繰り返した。美術の才能があった彼は頼まれれば肖像画を描いたりもしたが、いつも最後に目を描いたと伝えられている。